航空母艦「大鷹」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は航空母艦「大鷹」、艦これでは2017年5月のイベントで実装されました。
「大鷹」は戦前に優秀船舶建造助成施設によって有事の際に航空母艦への改装を前提として設計された「空母予備船」の一隻です。
貨客船「新田丸」型の3番船として建造中に海軍によって徴用され、貨客船としては完成せずに建造途中から空母へと改装されました。
しかしこの時点ではあくまでも「徴用」で「買収」ではなく、三菱長崎造船所にて特設航空母艦「春日丸」として1940年9月19日に進水しました。
この直後に同じく三菱長崎造船所で建造中だった戦艦「武蔵」の進水式では直後の艤装岸壁への移動を目隠しする為に使われています。
今回の模型は1942年8月に海軍によって正式に買収の上、特設航空母艦から航空母艦へ艦籍を改めた後1943年5~8月の修理実施後の姿となります。

全体。
航空母艦大鷹全体1航空母艦大鷹全体2
航空母艦大鷹全体3航空母艦大鷹全体4
航空母艦大鷹全体5
客船改装空母の為、高速発揮の為にスマートな船体を持つ「瑞鳳」「千歳」などと違い、「隼鷹」と同じく太めの船体を持っているのが判ると思います。

艦首。
航空母艦大鷹艦首1航空母艦大鷹艦首3航空母艦大鷹艦首4
航空母艦大鷹艦首2航空母艦大鷹艦首5
進水式の前に徴用され改装工事が行われた「大鷹」ですが、艦首付近に商船としての面影が残っています。
艦首甲板に25mm三連装機銃2基を装備、飛行甲板前端付近の左右両舷に12cm単装高角砲を各1基装備。
改装空母の常として艦橋は飛行甲板下部に設置されています。

艦橋。
航空母艦大鷹艦橋
高角砲の左側が艦橋になっています。

艦首飛行甲板。
航空母艦大鷹艦首飛行甲板1航空母艦大鷹艦首飛行甲板2
前部エレベーターとその後ろにある滑走制止策(クラッシュバリケード)が良く判ると思います。
「大鷹」のエレベーターは前後共に予め設置を予定して船倉ハッチが搭載予定のエレベーターと同じサイズとして作られていました。
両舷の機銃は25mm連装機銃。

中央付近。
航空母艦大鷹左舷
航空母艦大鷹右舷航空母艦大鷹煙突
上の画像が左舷側、下2枚が右舷側となっています。
元が商船だけに軍艦改装空母に比べ若干のっぺりとした印象があります。

艦尾。
航空母艦大鷹艦尾1航空母艦大鷹艦尾3
航空母艦大鷹艦尾2
艦尾付近の両舷にも12cm単装高角砲を装備、艦尾には艦種と同じく25mm三連装機銃を2基装備。

「大鷹」は元々の計画では「赤城」や「加賀」と組んで敵戦艦への攻撃を担う予定でした。
しかし完成後は速力性能の不足、戦前に想定されていた漸減邀撃作戦の崩壊等によって艦隊型空母としての運用は行われず、開戦直後から南方方面への航空機輸送を主として行う事になります。
輸送任務中の1942年9月28日、米潜水艦「トラウト」の雷撃を受けトラックへ入泊、工作艦「明石」による応急修理の後呉へ帰投、本格的な修理を実施しました。
この後「大鷹」は1943年中頃まで南方方面への航空機輸送に従事、地味な活動ではありましたがラバウルを中心とした航空戦力の維持に大きく貢献し航空消耗戦を支え続けました。
1943年9月24日、父島沖で米潜水艦「カリブラ」の雷撃を受け魚雷6発が命中、うち5発が不発だったものの艦尾の1発が起爆、舵機室が破壊され機関も停止してしまいました。
しかし「大鷹」は同型艦「冲鷹」によって曳航、横須賀への入港に成功しドックでの調査の後に横浜船渠へ回航、修理を受けました。
修理完了後は海上護衛総隊へ編入され船団護衛が新たな任務となりました。
1944年8月、ヒ71船団の護衛に従事中に米潜水艦「ラッシャー」の雷撃を受け右舷艦底部のガソリン庫が誘爆、300mもの火柱を噴きあげたと言われています。
この爆発による火災が延焼、さらに弾薬庫や左舷タンクの誘爆を引き起こし、「大鷹」はルソン島西方沖にその姿を没しました。

以上、航空母艦「大鷹」でした。
ゲームでは先制対潜攻撃が可能になったり夜間攻撃も可能と多芸っぷりを発揮していましたが、実際の「大鷹」は本来想定された敵戦艦への攻撃も行えず、華々しい海戦とは無縁の存在でした。
しかし昭和17~18年にかけての航空機輸送は南方戦線を支える重要な役目であり、「大鷹」を始めとした商船改装空母の活躍が無ければソロモン方面は史実よりさらに早い段階で限界を迎えていたであろう事は間違いありません。
大鷹を評するとしたら「本来の役目は果たせなかったがそれ以上に重要な役目を果たした艦」と言って良いのではないでしょうか。

次回はROBOT魂「零式」の予定。
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2017年10月19日時点保有艦娘状況

2017年10月19日1700時保有艦娘のレベル及び基本装備状況。

戦艦、正規空母、軽空母、水上機母艦。
戦艦正規空母軽空母水上機母艦

重巡洋艦、軽巡洋艦、練習巡洋艦。
重巡洋艦軽巡洋艦練習巡洋艦

駆逐艦、海防艦、潜水艦、その他、陸軍船舶。
駆逐艦海防艦潜水艦その他

リストの装備はイベント時以外に装備させっ放しで基本変更はせず。
イベントでは普段使用していない装備も含めごっちゃごちゃになるのでイベント後の装備復旧確認用としてもリスト化は結構重要だったり……。
制空値を入れているのは情報収集後に足りない分をどう補うかが判り易くする為のもの、航空戦艦と航空巡洋艦による制空値底上げが割と馬鹿にならない事が運用し始めてかなり印象に残った感じ。
というかマンスリー5-1で航空優勢or制空権確保が可能になるんで物凄く簡単(羅針盤除く)になってます。

でもって補強増設雑感。
現状で補強増設は全艦使用済み、基本は機銃を装備でイベント時に時々応急修理女神を積むくらい。
イベント時に痛感したのだけど、全艦が25mm連装機銃以上を装備してると航空攻撃の被害がかなり抑えられる。
前回のイベでもE5「地中海キプロス島沖」の鬼門と呼ばれたFマス空襲での大破撤退が殆ど発生しなかった(航空優勢を確保していた事もあるが)。
潜水艦はタービン搭載で回避底上げ(ディーゼルor電動機なのにタービンが載るのは考えてはいけない)、全艦がタービン搭載だと5-3で下ルートじゃなく上ルートに向かう場合があり、タービン搭載皆無だと殆ど上に行かないので内部データ的な速度が変化している可能性がある?
何はともあれ補強増設を全ての艦娘に使うとなれば予算の壁が立ちはだかるものの、効果が永続な事もあってコスパは悪くない。
特に航空攻撃の被害減少はイベント難易度に結構ダイレクトに影響していると思う。

装備改修については個人的な優先順位は
・各主砲(連合艦隊における命中率補正)
・魚雷発射管(カットイン用)
・戦闘機(制空値に影響)
・零式水上観測機(索敵値の底上げ)
の4つ、次点で徹甲弾。

……なんか次回イベント、「比較的小規模」と言いつつ新規ボイスにスリガオ海峡夜戦を思わせるようなセリフがあったりするし、レイテ沖海戦のうち一部だけ再現イベントとかになるのかしら?
以下レイテ沖海戦における各戦闘。
・パラワン水道対潜警戒(愛宕、摩耶が撃沈され高雄が大破)
・シブヤン海対空戦(武蔵が撃沈された)
・エンガノ岬沖敵艦隊誘引(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田、秋月が撃沈、続く夜戦で初月が撃沈。また離脱中の多摩が潜水艦によって撃沈)
・スリガオ海峡夜戦(山城、扶桑、最上、朝雲、山雲、満潮が撃沈)
・サマール沖追撃戦(鈴谷、筑摩、鳥海、能代、野分、藤波、早霜が撃沈 ※鳥海は同士討ち説あり)
これら一連の戦闘を一つのイベントに詰め込むのは無茶だろうし、どれか1~2個を選んで秋イベにぶつけてくる可能性?
単に10月25日に合わせただけ、って可能性もあるけど!

伊号第14潜水艦

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は艦これ2017年冬イベントE3クリア報酬として実装された巡潜甲型改二「伊号第14潜水艦」です。
……巡潜甲型、と言われても殆どの方はピンと来ないかもしれません。

日本海軍で建造された大型潜水艦は大きく分けて2系統あり、艦隊随伴型の海軍大型潜水艦で通称「海大型」、長距離哨戒任務を担当する巡洋潜水艦で通称「巡潜型」です。
巡潜型はさらに潜水隊旗艦設備と小型水偵を運用する航空艤装を持った「甲型」、甲型から旗艦設備を除いた「乙型」、旗艦設備と航空艤装を持たない代わりに魚雷戦能力を強化した「丙型」の3系統に分かれていました。
伊号第14潜水艦は昭和18年5月に起工されましたが、同年末頃に建造隻数が削減された潜特型(伊号第400型)の航空戦力を補完する為に設計が変更される事となります。
結果、本来は小型水上偵察機を1機搭載する予定だったものが特殊攻撃機「晴嵐」を2機搭載に改められ、大型の耐圧格納筒を装備する準潜特型とも呼べる艦となり昭和20年3月に竣工しました。

伊号第14潜水艦全体。
伊号第14潜水艦全体1伊号第14潜水艦全体2
伊号第14潜水艦全体3伊号第14潜水艦全体4
伊号第14潜水艦全体5伊号第14潜水艦全体6
基準排水量2000トンを超える大型の艦体を持つ伊号第14潜水艦ですが、それでも晴嵐2機を収める耐圧格納筒はかなりの大きさを持っている事が判ります。


伊号第14潜水艦艦首と艦尾。
伊号第14潜水艦艦首伊号第14潜水艦正面
伊号第14潜水艦艦尾
艦首には晴嵐発艦用の四式一号十型射出機を装備。
それ以外の形状はこの時期の潜水艦としては特に大きな特徴もなく、一般的な形状となっています。


伊号第14潜水艦艦橋。
伊号第14潜水艦艦橋1伊号第14潜水艦艦橋2
大きな耐圧格納筒と左舷側に配置された艦橋。
耐圧筒の上に25mm三連装機銃2基と同単装機銃1基を装備。


特殊攻撃機「晴嵐」。
伊号第14潜水艦晴嵐
爆装時はフロートを付けたまま飛び立ちますが、魚雷装備時は最初からフロートなしでの発艦を予定していました。


伊号第14潜水艦は完成後にトラック諸島への高速偵察機「彩雲」輸送任務に同型艦伊号第13潜水艦と共に投入されました。
この作戦において伊号第13潜水艦は小笠原諸島近海でアメリカ海軍によって捕捉・撃沈されましたが伊号第14潜水艦は任務を完遂。
そしてそのままトラック諸島にて終戦を迎え、戦後アメリカ軍に接収の上1946年5月28日にハワイ近海にて海没処分とされました。

さて、日本海軍と言えば潜水艦運用に無知であり通商破壊作戦を軽視したと批判されがちです。
しかし実際には昭和15~6年の演習によって漸減邀撃作戦における決戦兵力としては運用不可能と判定され、戦時の任務を通商破壊へと切り替える事が決定されています。
惜しむらくは開戦時の新鋭潜水艦はその全てがこの決定前に計画・竣工したものであり、作戦方針の転換とそれに伴うドクトリンの改訂とそれに伴う新型潜水艦の整備が間に合わなかった事でしょう。

また潜水艦が艦隊作戦の支援に当たるという思想も批判されがちですが、実際にはアメリカ海軍もまた通商破壊作戦と同時に日本海軍と同じく艦隊作戦の支援に潜水艦を大量に投入しているという事実があります。
艦隊作戦の支援に投入された潜水艦が大きな戦果を挙げた例としては、
・日本海軍:ガダルカナル島封鎖作戦において伊号第19潜水艦による空母「ワスプ」並びに駆逐艦「オブライエン」撃沈&戦艦「ノースカロライナ」大破、伊号第26潜水艦による軽巡洋艦「ジュノー」撃沈&空母「サラトガ」大破。
・アメリカ海軍:マリアナ沖海戦において「アルバコア」による空母「大鳳」撃沈、「カヴァラ」による「翔鶴」撃沈。
         :レイテ沖海戦において「ダーター」による重巡洋艦「愛宕」撃沈ならびに「高雄」大破、「デース」による「摩耶」撃沈。
等があります。

潜水艦による輸送作戦でもアメリカ海軍はガダルカナル戦において日本艦隊によるガダルカナル島封鎖作戦によって補給が断たれ、潜水艦「アンバージャック」による航空燃料及び航空爆弾の緊急輸送を実施しています。
困窮すれば例えアメリカ海軍と言えども日本海軍と同じ土竜輸送を実施しているのです。

また、日本潜水艦は対戦したアメリカ海軍から見て「最も撃沈確認が困難な相手」でもありました。
ドイツとイタリアの潜水艦に対する確認戦果は未確認戦果より上なのですが、日本潜水艦に対しては未確認戦果が確認戦果を上回ります。
これはドイツ・イタリアの潜水艦はいよいよとなれば浮上しての砲戦、或いは自沈処分を行いつつの降伏等を行っている例が少なからずある為で、日本海軍の潜水艦において同様の事例は殆どありません。
これは日本潜水艦が海中で反撃或いは離脱の機会を伺いつつ、最後まで粘り強く抵抗していた事を示しています。

次回更新はアオシマファニーナイツの「木曾改二」の予定。

ドイツ海軍未成航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は艦これで2015年秋イベントにて実装されたドイツ海軍の航空母艦(未成)、「グラーフ・ツェッペリン」です。
製作にあたって使用して頂いたのはアオシマの艦これモデルですが、中身はドイツレベルの1/720キットで、本来の1/700に比べ全長で約1センチ短くなっています。
またキットが古い&海外製という事もあって全体的な精度も甘く、製作には相当な苦労をされたとの事でした。
それでも要所要所にディティールアップを施して頂き、未成ながらも全長262.5mという大和に匹敵する大型航空母艦の雄姿を再現して頂く事が出来ました。
なお本艦は建造工程90%で未成のまま終わっており、模型はあくまでも「完成時の予想」という事を予めお断りしておきます。

まずは全体から。
独空母グラーフ・ツェッペリン全体1独空母グラーフ・ツェッペリン全体2
独空母グラーフ・ツェッペリン全体3独空母グラーフ・ツェッペリン全体4
独空母グラーフ・ツェッペリン全体5
1930年代に計画された航空母艦としてはスタンダードなスタイルで、右舷やや前方にアイランドを持った島型空母となっています。
計画にあたっては日本海軍に技術者を派遣、航空母艦「赤城」を見学(ただしまだ三段式飛行甲板!)してエレベーター等の艤装を参考にしたとされています。

艦橋。
独空母グラーフ・ツェッペリン艦橋1独空母グラーフ・ツェッペリン艦橋2独空母グラーフ・ツェッペリン艦橋3
日本海軍では「大鳳」や「隼鷹」で採用された煙突と一体化したアイランドを持ちます。
……が、妙に艦橋が小さくて煙突が大きく、アイランド部分は極めてアンバランスな印象を受けます。
本艦の艦橋は一番左の画像で高角砲の直後にある小さな箱型構造物で、高さも低く実際に運用する場合には前方の見通しにも問題が発生したのではないでしょうか?
かたや煙突は「サラトガ」の如く巨大で、このあたりは空母の建造経験がない事が大きく影響しているのではないかと思われます。

艦首。
独空母グラーフ・ツェッペリン艦首1独空母グラ―フ・ツェッペリン艦首2
艦首飛行甲板左右にあるのは火薬式カタパルトですが、これはトラス状の射出台の上に飛行機を乗せて打ち出すというシロモノで、先端部分から内側に設けられた斜めのレールは射出に使用した台を回収する為の構造物となっています。
この射出方式は日本海軍も航空母艦「加賀」で試験しましたが最初の予備試験に失敗、以後射出機の開発が停滞していきました。
カタパルトの設置そのものは極めて正しい方策だったと思いますが、やはり技術が追いついていなかったと見るべきでしょう。

左舷。
独空母グラーフ・ツェッペリン左舷搭載艇
左舷舷側に搭載艇がずらりと並べられており、外見上の特色となっています。
この方式は米空母「サラトガ」でも見られるもので、ドイツ海軍が各国で就役済みの空母から集めた情報によって設計された証左ではないでしょうか。

艦尾。
独空母グラーフ・ツェッペリン後部飛行甲板
他の空母模型では目立つ着艦制動作が見えません。
未成に終わった事ではっきりした設置場所が判明していない頃のキットのせいでしょうか……。
実艦が完成していないとこういう処がどうしても曖昧になってしまう、ということですね。

兵装その1(高角砲)。
独空母グラーフ・ツェッペリン兵装1独空母グラーフ・ツェッペリン兵装2
艦橋を挟んで前後に各3基、合計6基の65口径10.5cm連装高角砲を装備。
この高角砲はドイツ海軍大型水上戦闘艦のスタンダードな対空砲で、「ビスマルク」にも搭載されています。

兵装その2(15cm連装砲)。
独空母グラーフ・ツェッペリン兵装3独空母グラーフ・ツェッペリン兵装4
1930年代の空母としては珍しく中口径砲を、それも片舷8門で合計16門という多数を装備しています。
この装備をして本艦が通商破壊艦として運用するつもりだったと主張する識者の方もいますが、実際には悪天候と視界不良になる可能性が高い北海方面での運用を想定し、巡洋艦との不規遭遇戦に備えたものと考えた方が正しいと思われます。

兵装その3(機銃)。
独空母グラーフ・ツェッペリン兵装5独空母グラーフ・ツェッペリン兵装6
本艦の対空兵装として予定されていたのは3.7cm対空砲と20mm機銃ですが、前者は単発式の為有効性が低く、実際には20mm機銃に統一されたのではないかと個人的には考えます。

「グラーフ・ツェッペリン」はドイツ海軍の再建が本格化した際、つまり1930年代初頭から計画がスタートし、1936年に起工されました。
しかし初の航空母艦ということもあって建造に手間取り、1938年に進水したものの1940年6月に建造工程90%で工事が中断されてしまいます。
以後何度か完成させようという動きは出たものの、結局完成することなく終戦直前に自沈してドイツ海軍での艦歴を閉じました。
しかし戦後にソ連へ賠償艦として引き渡される事が決定。
ソ連海軍内部では「グラーフ・ツェッペリン」を修理の上訓練乃至実験用航空母艦として使用する事を考慮していましたが、自沈時の破損状況が酷く不可能と判定されてしまいます。
そのためソ連に引き渡された後に駆逐艦と魚雷艇の標的とする事が決定、1947年8月17日にバルト海で標的として撃沈されその生涯を閉じました。
長い間本艦の沈没個所は不明でしたが、2006年にポーランドの石油掘削会社の調査中、バルト海の海底に眠っているところを発見されています。

以上、ドイツ海軍未成空母「グラーフ・ツェッペリン」でした。
次回更新はAMAKUNI「陸奥」を予定しております。

1/350 陽炎型駆逐艦「浜風」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は某所同志よりリクエストのありました陽炎型駆逐艦「浜風」になります。
陽炎型は既に1/700で3隻(不知火、雪風、天津風)揃えていたので、1/350キットでリクエストに応える事にしました。
キットはハセガワの1/350「野分(スーパーディティール)」で、マリアナ沖開戦(1944年6月)時の「浜風」を再現可能となっています。

まずは全体から。
駆逐艦浜風全体1駆逐艦浜風全体2
駆逐艦浜風全体3駆逐艦浜風全体4
戦前に全艦が竣工した最後の駆逐艦でもある「陽炎」型のスマートな姿がよく再現されています。

艦首。
駆逐艦浜風艦首1
喫水線ほぼ正横からの撮影で、艦首のS字ライン(ダブルカーブド・バウ)が良く判ります。
舷窓の一部は戦訓対策として蓋が溶接されており、居住環境は若干悪化したと言われています。

艦橋付近。
駆逐艦浜風艦橋1駆逐艦浜風艦橋2
駆逐艦浜風艦橋4駆逐艦浜風艦橋5
駆逐艦浜風艦橋3
前部マスト中段に22号対水上電探を装備し、マスト中段下部を覆う形で電探室が設置されています。
1/700スケールでは再現されていなかった艦橋周辺の防弾板も再現されています(窓の下に並んでいる板状のもの)。
艦橋前には九六式25mm連装機銃を増備、周辺にも同単装機銃が配され大戦後半の激烈な対空戦闘に備えて近接対空火力を強化している事が伺えます。
艦橋左舷基部から前部煙突に伸びている小型の煙突は台所(海軍用語で烹炊所)の蒸気用です。

中央部煙突付近。
駆逐艦浜風煙突1駆逐艦浜風第一煙突駆逐艦浜風第二煙突
駆逐艦浜風魚雷発射管1駆逐艦浜風魚雷発射管2駆逐艦浜風中央1
陽炎型は缶(ボイラー)を3基搭載しており、前部煙突がそのうち2基を、後部煙突が1基の排煙を受け持っています。
前部煙突基部両舷には前部魚雷発射管用の次発装填装置を装備しており各2本ずつの予備魚雷を格納、次発装填時は前部発射管を180度旋回させて行います。
後部煙突両舷に九六式25mm三連装機銃を装備していますが、ここは元々同連装機銃を装備していたものを換装しています。

後部上構。
駆逐艦浜風後部1駆逐艦浜風後部上構駆逐艦浜風後部上構3
駆逐艦浜風後部上構2
後部の上部構造物は左舷側に後部魚雷発射管用の次発装填装置を装備。
こちらは前部と違い4本全てを並べており、発射管を右舷側に僅かに旋回させるだけで次発装填が可能となっています。
元々後部の上部構造物上には2番主砲が装備されていましたが、大戦後半の熾烈な対空戦闘に対応する為に2番主砲を撤去、九六式25mm三連装機銃2基を増備しています。
後部マストには対空警戒用の13号対空電探を装備。

艦尾。
駆逐艦浜風後部2駆逐艦浜風艦尾3駆逐艦浜風艦尾2
フルハルモデルなので1/700のウォーターラインでは見る事が出来ないスクリュー及びプロペラシャフト、舵もきちんと再現されています。
艦尾には爆雷投下軌条と九四式爆雷投射機を装備、その周辺には増備された九六式25mm単装機銃が配されています。
艦尾水面下の流麗なラインは日本海軍の駆逐艦に多く見られる形状ですが、平時の建造ならば良いとしても戦時下の量産には適しませんでした。
これは艦首のダブルカーブド・バウにも当てはまり、戦後の造船官による反省会でも「いささかやり過ぎの感がなきにしにもあらず」といった弁が出ています。

駆逐艦「浜風」と艦娘「浜風」。
駆逐艦浜風と艦娘浜風

陽炎型駆逐艦「浜風」は日本海軍の軍備拡張計画であるマル三計画において甲型駆逐艦第29号艦として計画、1939年11月20日に浦賀船渠にて起工されました。
1941年6月30日に竣工、呉鎮守府所属となり同日「磯風」「浦風」「谷風」からなる第十七駆逐隊へ編入。
訓練の後1941年11月に軽巡洋艦「阿武隈」を旗艦とする第一水雷戦隊に所属、南雲機動部隊の直衛として真珠湾攻撃へ同行しました。
その後も機動部隊の護衛としてラバウル攻略作戦、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略作戦、セイロン沖海戦に参加、直接的な戦闘こそ殆どなかったものの、開戦以来空母と共に最前線を渡り歩く事となります。
そして1942年6月、ミッドウェー海戦では被弾炎上した航空母艦「蒼龍」の救援を行い、生存者を救助の後内地に帰投します。

同年8月から始まったソロモン戦では陸軍の一木支隊をガダルカナル島へ輸送する任務に従事、同支隊の揚陸を成功させた後にラバウルへ帰投しました(なお「浜風」らが揚陸に成功した一木支隊はラバウル帰投の8月21日同日に全滅してしまいました)。
帰投中の8月17日には外南洋部隊の護衛部隊に編入、第十八戦隊(軽巡洋艦「天龍」「龍田」)と共にニューギニア東部のラビ攻略作戦に参加します。
ラビ攻略作戦では海図の不備から揚陸地点を間違える等の出来事もありましたが、「浜風」は僚艦と共に対地支援射撃に従事しました。
しかし最終的にラビ攻略作戦は中止となり、撤退作戦が実施されました。
ニューギニア東部での作戦を終えた「浜風」は休む間もなくガダルカナル戦へ参加、9月16日よりガダルカナル島への輸送作戦を3回実施しています。
1942年10月の南太平洋海戦では機動部隊本隊の直衛艦として参加の後に機動部隊を護衛して内地へ帰投、佐世保工廠で修理を行いました。
修理後の11月17日には竣工直後の軽巡洋艦「阿賀野」を「磯風」と共に護衛してトラックへ進出しています。

1943年2月にはガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)の第二次と第三次撤退作戦に参加、その後前年の第三次ソロモン海戦で損傷した駆逐艦「満潮」を曳航してトラック泊地から内地へ帰投。
修理や整備、訓練の後中部ソロモン海域の戦いへ参加、クラ湾夜戦やコロンバンガラ島沖海戦、第一次ベラ・ラベラ海戦に参加します。
1944年2月1日、リンガ泊地へ進出、サイパン方面への船団護衛に参加。
同年3月末に第十六駆逐隊唯一の稼働艦となっていた「雪風」(「初風」「時津風」は既に沈没、「天津風」大破修理中)を加え第十七駆逐隊は「浜風」「浦風」「磯風」「谷風」「雪風」の5隻となりました。
しかし6月9日に米潜水艦「ハーダー」の雷撃により「谷風」が撃沈され、遂に第十七駆逐隊から初の喪失感を出すこととなってしまいます。
マリアナ沖海戦において「浜風」は本隊から分離して「時雨」「白露」「響」「秋霜」と共に補給部隊の護衛にあたり、油槽船「清洋丸」と衝突・爆沈した「白露」の生存者を救助しています。
その後は補給部隊から分離、機動部隊本体に合流して第二航空戦隊(「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」)の護衛を行うも空母「飛鷹」が撃沈され、またも乗員の救助を行う事となりました。

さらに1944年10月にはレイテ沖海戦に参加、第三戦隊(「金剛」「榛名」)を中心とした輪形陣に配置されました。
レイテ島への進撃途上、シブヤン海海戦において小型爆弾2発の命中により缶室に火災が発生、約20分後に鎮火するも最大速度が28ノットに低下、同じく同海戦で損傷した駆逐艦「清霜」と共に大破した戦艦「武蔵」を護衛してコロン湾への回航を命じられました。
しかし「武蔵」は浸水を食い止める事が出来ず遂に沈没、生存者約800名を救助した「浜風」は「清霜」と共にマニラへ撤退します。
1944年11月、第十七駆逐隊は「大和」「長門」「金剛」を護衛して日本本土への帰投を目指しましたが途中で米潜水艦「シーライオン」の雷撃により「金剛」が撃沈され、同時に第十七駆逐隊の司令駆逐艦であった「浦風」も被雷・轟沈。
「浦風」の後を継いで「浜風」が第十七駆逐隊の司令駆逐艦を引き継ぎ横須賀へ帰投しました。
横須賀への帰投直後には航空母艦「信濃」を護衛して呉への回航を命じられ、「浜風」「磯風」「雪風」の3隻で「信濃」を護衛するも米潜水艦「アーチャーフィッシュ」の雷撃により「信濃」は沈没してしまいます。
この時第十七駆逐隊に所属する幾度も実戦を潜り抜け米潜水艦に何度も痛い目にあわされた実戦経験豊富な艦長達は揃って「昼間沿岸航路」を主張したものの、信濃艦長阿部大佐による「夜間外洋高速航行」に押し切られた事が「信濃」喪失の原因とも言われています。

そして1945年4月、第十七駆逐隊は戦艦「大和」を護衛しての沖縄出撃、天一号作戦に参加。
坊ノ岬沖海戦とも呼ばれるこの海戦おいて「浜風」は第一次空襲で後部に爆弾を受け航行不能となり、その後魚雷が右舷中央部に命中し艦体が切断、さしもの武勲艦も遂にその姿を洋上から消す事となりました。

1/350「浜風」でした。
8月は短期検査入院等の予定があるため更新は殆ど出来なくなると思います。
艦艇模型関係は恐らく9月末頃に再開、それ以外は状況によってフィギュア系の更新をするかもしれません。
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大隅4001

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艦こ関係模型やフィギュア中心のブログです。

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