ドイツ海軍未成航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は艦これで2015年秋イベントにて実装されたドイツ海軍の航空母艦(未成)、「グラーフ・ツェッペリン」です。
製作にあたって使用して頂いたのはアオシマの艦これモデルですが、中身はドイツレベルの1/720キットで、本来の1/700に比べ全長で約1センチ短くなっています。
またキットが古い&海外製という事もあって全体的な精度も甘く、製作には相当な苦労をされたとの事でした。
それでも要所要所にディティールアップを施して頂き、未成ながらも全長262.5mという大和に匹敵する大型航空母艦の雄姿を再現して頂く事が出来ました。
なお本艦は建造工程90%で未成のまま終わっており、模型はあくまでも「完成時の予想」という事を予めお断りしておきます。

まずは全体から。
独空母グラーフ・ツェッペリン全体1独空母グラーフ・ツェッペリン全体2
独空母グラーフ・ツェッペリン全体3独空母グラーフ・ツェッペリン全体4
独空母グラーフ・ツェッペリン全体5
1930年代に計画された航空母艦としてはスタンダードなスタイルで、右舷やや前方にアイランドを持った島型空母となっています。
計画にあたっては日本海軍に技術者を派遣、航空母艦「赤城」を見学(ただしまだ三段式飛行甲板!)してエレベーター等の艤装を参考にしたとされています。

艦橋。
独空母グラーフ・ツェッペリン艦橋1独空母グラーフ・ツェッペリン艦橋2独空母グラーフ・ツェッペリン艦橋3
日本海軍では「大鳳」や「隼鷹」で採用された煙突と一体化したアイランドを持ちます。
……が、妙に艦橋が小さくて煙突が大きく、アイランド部分は極めてアンバランスな印象を受けます。
本艦の艦橋は一番左の画像で高角砲の直後にある小さな箱型構造物で、高さも低く実際に運用する場合には前方の見通しにも問題が発生したのではないでしょうか?
かたや煙突は「サラトガ」の如く巨大で、このあたりは空母の建造経験がない事が大きく影響しているのではないかと思われます。

艦首。
独空母グラーフ・ツェッペリン艦首1独空母グラ―フ・ツェッペリン艦首2
艦首飛行甲板左右にあるのは火薬式カタパルトですが、これはトラス状の射出台の上に飛行機を乗せて打ち出すというシロモノで、先端部分から内側に設けられた斜めのレールは射出に使用した台を回収する為の構造物となっています。
この射出方式は日本海軍も航空母艦「加賀」で試験しましたが最初の予備試験に失敗、以後射出機の開発が停滞していきました。
カタパルトの設置そのものは極めて正しい方策だったと思いますが、やはり技術が追いついていなかったと見るべきでしょう。

左舷。
独空母グラーフ・ツェッペリン左舷搭載艇
左舷舷側に搭載艇がずらりと並べられており、外見上の特色となっています。
この方式は米空母「サラトガ」でも見られるもので、ドイツ海軍が各国で就役済みの空母から集めた情報によって設計された証左ではないでしょうか。

艦尾。
独空母グラーフ・ツェッペリン後部飛行甲板
他の空母模型では目立つ着艦制動作が見えません。
未成に終わった事ではっきりした設置場所が判明していない頃のキットのせいでしょうか……。
実艦が完成していないとこういう処がどうしても曖昧になってしまう、ということですね。

兵装その1(高角砲)。
独空母グラーフ・ツェッペリン兵装1独空母グラーフ・ツェッペリン兵装2
艦橋を挟んで前後に各3基、合計6基の65口径10.5cm連装高角砲を装備。
この高角砲はドイツ海軍大型水上戦闘艦のスタンダードな対空砲で、「ビスマルク」にも搭載されています。

兵装その2(15cm連装砲)。
独空母グラーフ・ツェッペリン兵装3独空母グラーフ・ツェッペリン兵装4
1930年代の空母としては珍しく中口径砲を、それも片舷8門で合計16門という多数を装備しています。
この装備をして本艦が通商破壊艦として運用するつもりだったと主張する識者の方もいますが、実際には悪天候と視界不良になる可能性が高い北海方面での運用を想定し、巡洋艦との不規遭遇戦に備えたものと考えた方が正しいと思われます。

兵装その3(機銃)。
独空母グラーフ・ツェッペリン兵装5独空母グラーフ・ツェッペリン兵装6
本艦の対空兵装として予定されていたのは3.7cm対空砲と20mm機銃ですが、前者は単発式の為有効性が低く、実際には20mm機銃に統一されたのではないかと個人的には考えます。

「グラーフ・ツェッペリン」はドイツ海軍の再建が本格化した際、つまり1930年代初頭から計画がスタートし、1936年に起工されました。
しかし初の航空母艦ということもあって建造に手間取り、1938年に進水したものの1940年6月に建造工程90%で工事が中断されてしまいます。
以後何度か完成させようという動きは出たものの、結局完成することなく終戦直前に自沈してドイツ海軍での艦歴を閉じました。
しかし戦後にソ連へ賠償艦として引き渡される事が決定。
ソ連海軍内部では「グラーフ・ツェッペリン」を修理の上訓練乃至実験用航空母艦として使用する事を考慮していましたが、自沈時の破損状況が酷く不可能と判定されてしまいます。
そのためソ連に引き渡された後に駆逐艦と魚雷艇の標的とする事が決定、1947年8月17日にバルト海で標的として撃沈されその生涯を閉じました。
長い間本艦の沈没個所は不明でしたが、2006年にポーランドの石油掘削会社の調査中、バルト海の海底に眠っているところを発見されています。

以上、ドイツ海軍未成空母「グラーフ・ツェッペリン」でした。
次回更新はAMAKUNI「陸奥」を予定しております。
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1/350 陽炎型駆逐艦「浜風」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は某所同志よりリクエストのありました陽炎型駆逐艦「浜風」になります。
陽炎型は既に1/700で3隻(不知火、雪風、天津風)揃えていたので、1/350キットでリクエストに応える事にしました。
キットはハセガワの1/350「野分(スーパーディティール)」で、マリアナ沖開戦(1944年6月)時の「浜風」を再現可能となっています。

まずは全体から。
駆逐艦浜風全体1駆逐艦浜風全体2
駆逐艦浜風全体3駆逐艦浜風全体4
戦前に全艦が竣工した最後の駆逐艦でもある「陽炎」型のスマートな姿がよく再現されています。

艦首。
駆逐艦浜風艦首1
喫水線ほぼ正横からの撮影で、艦首のS字ライン(ダブルカーブド・バウ)が良く判ります。
舷窓の一部は戦訓対策として蓋が溶接されており、居住環境は若干悪化したと言われています。

艦橋付近。
駆逐艦浜風艦橋1駆逐艦浜風艦橋2
駆逐艦浜風艦橋4駆逐艦浜風艦橋5
駆逐艦浜風艦橋3
前部マスト中段に22号対水上電探を装備し、マスト中段下部を覆う形で電探室が設置されています。
1/700スケールでは再現されていなかった艦橋周辺の防弾板も再現されています(窓の下に並んでいる板状のもの)。
艦橋前には九六式25mm連装機銃を増備、周辺にも同単装機銃が配され大戦後半の激烈な対空戦闘に備えて近接対空火力を強化している事が伺えます。
艦橋左舷基部から前部煙突に伸びている小型の煙突は台所(海軍用語で烹炊所)の蒸気用です。

中央部煙突付近。
駆逐艦浜風煙突1駆逐艦浜風第一煙突駆逐艦浜風第二煙突
駆逐艦浜風魚雷発射管1駆逐艦浜風魚雷発射管2駆逐艦浜風中央1
陽炎型は缶(ボイラー)を3基搭載しており、前部煙突がそのうち2基を、後部煙突が1基の排煙を受け持っています。
前部煙突基部両舷には前部魚雷発射管用の次発装填装置を装備しており各2本ずつの予備魚雷を格納、次発装填時は前部発射管を180度旋回させて行います。
後部煙突両舷に九六式25mm三連装機銃を装備していますが、ここは元々同連装機銃を装備していたものを換装しています。

後部上構。
駆逐艦浜風後部1駆逐艦浜風後部上構駆逐艦浜風後部上構3
駆逐艦浜風後部上構2
後部の上部構造物は左舷側に後部魚雷発射管用の次発装填装置を装備。
こちらは前部と違い4本全てを並べており、発射管を右舷側に僅かに旋回させるだけで次発装填が可能となっています。
元々後部の上部構造物上には2番主砲が装備されていましたが、大戦後半の熾烈な対空戦闘に対応する為に2番主砲を撤去、九六式25mm三連装機銃2基を増備しています。
後部マストには対空警戒用の13号対空電探を装備。

艦尾。
駆逐艦浜風後部2駆逐艦浜風艦尾3駆逐艦浜風艦尾2
フルハルモデルなので1/700のウォーターラインでは見る事が出来ないスクリュー及びプロペラシャフト、舵もきちんと再現されています。
艦尾には爆雷投下軌条と九四式爆雷投射機を装備、その周辺には増備された九六式25mm単装機銃が配されています。
艦尾水面下の流麗なラインは日本海軍の駆逐艦に多く見られる形状ですが、平時の建造ならば良いとしても戦時下の量産には適しませんでした。
これは艦首のダブルカーブド・バウにも当てはまり、戦後の造船官による反省会でも「いささかやり過ぎの感がなきにしにもあらず」といった弁が出ています。

駆逐艦「浜風」と艦娘「浜風」。
駆逐艦浜風と艦娘浜風

陽炎型駆逐艦「浜風」は日本海軍の軍備拡張計画であるマル三計画において甲型駆逐艦第29号艦として計画、1939年11月20日に浦賀船渠にて起工されました。
1941年6月30日に竣工、呉鎮守府所属となり同日「磯風」「浦風」「谷風」からなる第十七駆逐隊へ編入。
訓練の後1941年11月に軽巡洋艦「阿武隈」を旗艦とする第一水雷戦隊に所属、南雲機動部隊の直衛として真珠湾攻撃へ同行しました。
その後も機動部隊の護衛としてラバウル攻略作戦、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略作戦、セイロン沖海戦に参加、直接的な戦闘こそ殆どなかったものの、開戦以来空母と共に最前線を渡り歩く事となります。
そして1942年6月、ミッドウェー海戦では被弾炎上した航空母艦「蒼龍」の救援を行い、生存者を救助の後内地に帰投します。

同年8月から始まったソロモン戦では陸軍の一木支隊をガダルカナル島へ輸送する任務に従事、同支隊の揚陸を成功させた後にラバウルへ帰投しました(なお「浜風」らが揚陸に成功した一木支隊はラバウル帰投の8月21日同日に全滅してしまいました)。
帰投中の8月17日には外南洋部隊の護衛部隊に編入、第十八戦隊(軽巡洋艦「天龍」「龍田」)と共にニューギニア東部のラビ攻略作戦に参加します。
ラビ攻略作戦では海図の不備から揚陸地点を間違える等の出来事もありましたが、「浜風」は僚艦と共に対地支援射撃に従事しました。
しかし最終的にラビ攻略作戦は中止となり、撤退作戦が実施されました。
ニューギニア東部での作戦を終えた「浜風」は休む間もなくガダルカナル戦へ参加、9月16日よりガダルカナル島への輸送作戦を3回実施しています。
1942年10月の南太平洋海戦では機動部隊本隊の直衛艦として参加の後に機動部隊を護衛して内地へ帰投、佐世保工廠で修理を行いました。
修理後の11月17日には竣工直後の軽巡洋艦「阿賀野」を「磯風」と共に護衛してトラックへ進出しています。

1943年2月にはガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)の第二次と第三次撤退作戦に参加、その後前年の第三次ソロモン海戦で損傷した駆逐艦「満潮」を曳航してトラック泊地から内地へ帰投。
修理や整備、訓練の後中部ソロモン海域の戦いへ参加、クラ湾夜戦やコロンバンガラ島沖海戦、第一次ベラ・ラベラ海戦に参加します。
1944年2月1日、リンガ泊地へ進出、サイパン方面への船団護衛に参加。
同年3月末に第十六駆逐隊唯一の稼働艦となっていた「雪風」(「初風」「時津風」は既に沈没、「天津風」大破修理中)を加え第十七駆逐隊は「浜風」「浦風」「磯風」「谷風」「雪風」の5隻となりました。
しかし6月9日に米潜水艦「ハーダー」の雷撃により「谷風」が撃沈され、遂に第十七駆逐隊から初の喪失感を出すこととなってしまいます。
マリアナ沖海戦において「浜風」は本隊から分離して「時雨」「白露」「響」「秋霜」と共に補給部隊の護衛にあたり、油槽船「清洋丸」と衝突・爆沈した「白露」の生存者を救助しています。
その後は補給部隊から分離、機動部隊本体に合流して第二航空戦隊(「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」)の護衛を行うも空母「飛鷹」が撃沈され、またも乗員の救助を行う事となりました。

さらに1944年10月にはレイテ沖海戦に参加、第三戦隊(「金剛」「榛名」)を中心とした輪形陣に配置されました。
レイテ島への進撃途上、シブヤン海海戦において小型爆弾2発の命中により缶室に火災が発生、約20分後に鎮火するも最大速度が28ノットに低下、同じく同海戦で損傷した駆逐艦「清霜」と共に大破した戦艦「武蔵」を護衛してコロン湾への回航を命じられました。
しかし「武蔵」は浸水を食い止める事が出来ず遂に沈没、生存者約800名を救助した「浜風」は「清霜」と共にマニラへ撤退します。
1944年11月、第十七駆逐隊は「大和」「長門」「金剛」を護衛して日本本土への帰投を目指しましたが途中で米潜水艦「シーライオン」の雷撃により「金剛」が撃沈され、同時に第十七駆逐隊の司令駆逐艦であった「浦風」も被雷・轟沈。
「浦風」の後を継いで「浜風」が第十七駆逐隊の司令駆逐艦を引き継ぎ横須賀へ帰投しました。
横須賀への帰投直後には航空母艦「信濃」を護衛して呉への回航を命じられ、「浜風」「磯風」「雪風」の3隻で「信濃」を護衛するも米潜水艦「アーチャーフィッシュ」の雷撃により「信濃」は沈没してしまいます。
この時第十七駆逐隊に所属する幾度も実戦を潜り抜け米潜水艦に何度も痛い目にあわされた実戦経験豊富な艦長達は揃って「昼間沿岸航路」を主張したものの、信濃艦長阿部大佐による「夜間外洋高速航行」に押し切られた事が「信濃」喪失の原因とも言われています。

そして1945年4月、第十七駆逐隊は戦艦「大和」を護衛しての沖縄出撃、天一号作戦に参加。
坊ノ岬沖海戦とも呼ばれるこの海戦おいて「浜風」は第一次空襲で後部に爆弾を受け航行不能となり、その後魚雷が右舷中央部に命中し艦体が切断、さしもの武勲艦も遂にその姿を洋上から消す事となりました。

1/350「浜風」でした。
8月は短期検査入院等の予定があるため更新は殆ど出来なくなると思います。
艦艇模型関係は恐らく9月末頃に再開、それ以外は状況によってフィギュア系の更新をするかもしれません。

鴻型水雷艇「鵲」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は鴻型水雷艇「鵲」です。
艦これには未だ未登場の艦種ですが実質的な二等駆逐艦と呼ぶべき艦で、ロンドン軍縮条約下で保有量を制限された駆逐艦の補助戦力として整備されたのが水雷艇です。
第一陣が「千鳥」型水雷艇で、535トンの排水量で12.7センチ砲3門(連装・単装各1基)、53センチ連装魚雷発射管2基4門を搭載する重武装艦として計画されました。
 ※ロンドン軍縮条約では600トン未満の艦艇は条約制限外
が、小型軽量の船体に過度な武装によりトップヘビーを引き起こし、竣工直後の「友鶴」が転覆(「友鶴」事件)するという事故が発生、この「千鳥」型の問題点を解決して8隻が建造されたのが今回紹介する「鵲」を含む「鴻」型水雷艇です。
「千鳥」型の反省から基準排水量は840トンに増大し、主砲は11年式45口径12センチ単装砲(M型)3基、53センチ3連装魚雷発射管1基、毘式40mm単装機銃1基、爆雷投下台6基、94式爆雷投射機1基、爆雷16個を搭載。
30ノットの最大速力と14ノットで4000海里という航続距離を持ち、その戦力は大正期に整備された二等駆逐艦(「樅」型及び「若竹」型)にも劣らないものでした。

まずは全体から。
水雷艇「鵲」全体1水雷艇「鵲」全体3
水雷艇「鵲」全体2水雷艇「鵲」全体4
水雷艇「鵲」全体5水雷艇「鵲」全体6
水雷艇「鵲」全体7
外見は当時の大型駆逐艦をそのまま小型化したような感じで、船体は船首楼型となっています。

「鵲」艦首。
水雷艇「鵲」艦首1水雷艇「鵲」艦首2水雷艇「鵲」艦首3
主砲の防楯が丸みを帯びているのが外見上の特徴となっています。
また「鴻」型水雷艇が搭載したM型砲は最大仰角を55度に高められており、中国戦線において揚子江等の大河を遡上、陸軍や陸戦隊の作戦に協力する際に山なりの弾道で砲撃可能なようになっています。
艦橋は2層構造で重心低下を意識してかなり小型化されています。

「鵲」中央部。
水雷艇「鵲」中央部1水雷艇「鵲」中央部2水雷艇「鵲」中央部3
「吹雪」型以降の艦隊型駆逐艦と異なり、煙突は1本となっています。
煙突の後ろに探照灯と毘式40mm単装機銃を装備、さらにその後ろの甲板上に53センチ3連装魚雷発射管1基を装備。

「鵲」艦尾。
水雷艇「鵲」艦尾1水雷艇「鵲」艦尾2
後部甲板には後部上構を挟んで主砲が2基配置されています。
艦尾両舷に備えられたT字型のものは掃海用具であるパラベーンで、その後方に両舷各3基の爆雷投下台を装備。
3番主砲の後方に94式爆雷投射機と爆雷装填台を装備しています。

「鴻」型水雷艇は当初16隻の建造が見込まれていましたが、軍縮条約の脱退が確定的となり制限外艦艇による戦力の補強を行う必要がなくなった事から8隻の建造に留まりました。
沿岸海域防備用としては極めて優れた性能を持ち、戦時量産駆逐艦のベースとしても有望であった水雷艇(実質二等駆逐艦)の系譜は「千鳥」型4隻と「鴻」型8隻で途絶え、これ以降日本海軍は艦隊型の大型駆逐艦を量産していく事となります。
「鵲」は完成後に上海海軍特別陸戦隊の支援や揚子江河川警備に従事。
太平洋戦争開戦後は香港攻略戦に参加、さらに各地への船団護衛任務に従事しました。
しかし船団護衛任務中の昭和18年9月27日、ニューブリテン島北西にて米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け撃沈され昭和18年12月1日除籍となりました。

鴻型水雷艇「鵲」でした。
次回更新は今のところ未定、7月末に独未成空母「グラーフ・ツェッペリン」が到着予定ですが、それまではネタが出来次第更新するかも?といったところ。

飛行艇母艦「秋津洲」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は可愛さ特化で戦力としては役立たずの飛行艇母艦「秋津洲」です。
艦これにおいては水上機母艦に分類されていますがフロートを持つ水上機の運用能力はなく、双発以上の大型飛行艇に対する整備補給能力を持ち、基地機能がない前線での飛行艇支援を目的として建造されました。
昭和14年度計画により川崎重工によって建造、昭和17年4月29日竣工。

まずは全体から。
飛行艇母艦秋津洲全体1飛行艇母艦秋津洲全体2
飛行艇母艦秋津洲全体3飛行艇母艦秋津洲全体4
飛行艇母艦秋津洲全体5飛行艇母艦秋津洲全体6
「秋津洲」は竣工直後から写真にあるような迷彩塗装を備えていました。
これは竣工時の艦長である.黛治夫大佐の考案によるもので、迷彩塗装を指して「厚化粧」と言われた同大佐は「攻撃力がないから、昆虫のように保護色にしたんですよ」と返したという話が残っています。

「秋津洲」艦首。
飛行艇母艦秋津洲艦首1飛行艇母艦秋津洲艦首2飛行艇母艦秋津洲艦首3
艦首には89式12.7センチ連装高角砲を装備。
箱型の艦橋構造はシンプルで、メインマストも電探などの装備はなくすっきりとした形状となっています。

「秋津洲」中央部。
飛行艇母艦秋津洲中央部1飛行艇母艦秋津洲中央部2
艦橋構造と煙突に間に89式12.7センチ連装高角砲を装備。
煙突を境にして艦前部に高角砲、機銃と言った兵装を装備しており、煙突より後部が飛行艇整備用のスペースとなっています。
……個人的には艦橋構造と煙突の間に配置された高角砲は射界制限も大きく、実用的ではなかったんじゃないかと思えます。

「秋津洲」艦尾。
飛行艇母艦秋津洲艦尾1飛行艇母艦秋津洲艦尾2飛行艇母艦秋津洲艦尾3
なんといっても「秋津洲」の形状として最大の特徴が艦尾に備えられた力量35トンの大型クレーンでしょう。
これは重量30トンを超える二式飛行艇を釣り上げる為のもので、模型でも二式飛行艇が甲板に鎮座しています。
「秋津洲」は前線において模型のように飛行艇を後部甲板に載せて整備補給を行う艦として計画され、この状態での航行は考慮されていません。
この為模型も停泊状態を再現しており、二式飛行艇の主翼下にはカッターや内火艇を繋留する為の「繋船桁」と呼ばれる張り出しが展開されており、煙突横には士官乗艦用の舷梯も降ろされた状態となっています。

「秋津洲」艦橋。
飛行艇母艦秋津洲艦橋
艦橋の両舷に96式25mm連装機銃を装備。
高射装置を装備するなど対空兵装に関しては相応の配慮が為されている事が判ります。

二式飛行艇。
飛行艇母艦秋津洲二式飛行艇
川西航空が開発した四発の大型飛行艇で、魚雷2本もしくは大型爆弾2発を搭載しての対艦攻撃任務をも想定、機体設計の優秀さもあって海軍が望んだ性能をほぼ完全に満たした高性能機として完成しました。
最大速度は時速460km以上、航続距離は偵察過荷重で7000km以上という世界水準を遥かに超えた性能を誇り、ソロモンを巡る戦いではアメリカのB-17爆撃機などとも空戦を行い、これを撃退した記録も残っています。
現在同機は鹿児島県鹿屋の海上自衛隊鹿屋基地に世界で唯一現存する機体が保管展示されています。
※参考:他国の四発飛行艇
アメリカ:コンソリデーテッド社PB2Y「コロネード」 最大速度360km、航続距離3700km
イギリス:ショート社「サンダーランド」 最大速度336km、航続距離4600km

「秋津洲」は竣工からしばらくの間は南方において計画通りの飛行艇母艦任務に就きました。
戦局の悪化に伴い航空基地の移動に伴う輸送任務や魚雷艇輸送などにあたり、昭和19年夏には臨時工作艦としての改装を受けました。
しかし工作艦任務に就いてから僅か数か月でフィリピンのコロン湾にてアメリカ機動部隊による空襲を受け爆弾が直撃、爆発沈没しました。
現在でもコロン湾の海底に「秋津洲」は眠っており、「伊良湖」と共に沈船ダイビングスポットとしてその姿を見る事が可能となっています。

以上、飛行艇母艦「秋津洲」でした。
次回更新は水雷艇「鵲」を予定しています(これ、読める人どれだけいるんだろうか……?)。

水上機母艦「神威」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は「艦これ」2017年春イベントにて実装された水上機母艦(給油艦/飛行艇母艦兼給油艦)「神威」です。
運営ツィッターでチラ見の段階で新規実装艦を「神威」と断定、キットを探し回ったところポーランドのレジンキットメーカーであるニコモデルから水上機母艦時代の「神威」が発売されている事を確認、急遽購入の上優先製作依頼を出す事にしました。
……ちょっと先走った気がしなくもないですが、チラ見で「神威」と判断したのは間違っていなかったので一安心。
そんな「神威」ですが、本来の地名としては「か”む”い」なのですが艦名としては「か”も”い」となっています。
これは他にも「伊良湖」が同じく本来の読みは「いら”ご”」なのですが艦名としては「いら”こ”」となっている例があります。

まずは全体から。
水上機母艦神威全体1水上機母艦神威全体2
水上機母艦神威全体3水上機母艦神威全体4
水上機母艦神威全体5
大本は大正時代の建艦計画、「八八艦隊計画」の補助艦として計画された艦隊給油艦で、ターボ電気推進技術の評価試験を目的としてアメリカのニューヨーク造船所に発注、大正11年9月12日に竣工しました。
竣工時は特務艦(運送艦)に類別されましたが昭和7年8月より水上機母艦への改装を受け、昭和9年6月1日に特務艦籍から軍艦籍へ移り、水上機母艦へ再類別されました。
キットはこの水上機母艦時代のもので、昭和12~13年初頭辺りの姿を再現したものとなっているのですが、何故かキットの方は「1942年」の文字が。
艦尾のハインマットは昭和13年(1938年)に撤去されている&昭和14年に再改装されて飛行艇母艦へ変更されているので実質昭和12~3年頃の姿となっている事をご了承下さい。

「神威」艦首部分。
水上機母艦神威艦首1水上機母艦神威艦首2水上機母艦神威艦首3
元が給油艦として計画されただけに、艦首の形状など当時のタンカーに限りなく近いものとなっています。
艦首左舷にのみ菊花紋章が付いていますが、実際には右舷側にも付いていたようです。
前部マストの下にある箱状の構造物は仮艦橋で、本来の艦橋からの見通しが悪化した為に設置されたものと思われます。

「神威」中央部。
水上機母艦神威艦中央1水上機母艦神威艦中央2水上機母艦神威艦中央3
水上機母艦神威艦中央4水上機母艦神威艦中央5
「神威」のキットで一番の見どころはやはりこの中央付近の航空艤装及び格納庫でしょうか。
本来の上甲板の上に鋼製甲板を増設の上軌条を設けて格納甲板とし、さらに鋼製の天蓋を設置して格納庫内の水上機を保護する形になっています。
射出機が装備されていないのは軍縮条約の条項に違反する為で、この事もあって「千歳」などのような艦隊型水上機母艦と異なり外地での基地機能をメインとした改装となっています。
搭載機は常用・補用合計12機で、90式水上偵察機や94式・95式水上偵察機を搭載していたようです。
鋼製天蓋は右舷側が切り欠かれた形状となっており、ここからデリックを介して搭載機を洋上に降ろして発進させる方式となっています。
また鋼製天蓋の各所に13ミリ単装機銃を装備しており、煙突両脇に装備された8cm高角砲と合わせて対空戦闘を主眼とした兵装が施されています。

「神威」艦尾。
水上機母艦神威艦尾1水上機母艦神威艦尾2水上機母艦神威艦尾3
水上機母艦神威艦尾ハインマット
艦尾に装備しているリール状のものはハイン式揚収装置(ハインマット)で、以前「瑞穂」の説明で書いたものと同じ(というか「神威」から撤去したハインマットを「瑞穂」が装備した)で、キットではこのハインマットもエッチングパーツで展開状態を再現しています。
艦尾近くにある円形の台座は中口径砲を装備可能な砲座で、後に14cm単装砲が装備されています。
煙突付近に林立しているキセル状のものは通風筒で、明治~大正期の艦艇によく見られるものです。

「神威」はこの後昭和14年に飛行艇母艦への改装を受け、戦争中は主として重油輸送に使用されました。
昭和19年に給油艦へ類別変更され、香港に停泊していた昭和20年4月5日に米空母機による空襲を受け大破、4月13日に浸水量の増加により着底、そのまま終戦を迎えました。
戦後は英軍により解体され、昭和22年5月13日に除籍。
水上機母艦「神威」でした。
ターボ電気推進の評価試験を目的としてアメリカに発注され、給油艦>水上機母艦>飛行艇母艦>給油艦と艦種変更を繰り返すという変わった経歴を持つ艦ですが、活動そのものは地味でした。
とはいえこんな艦が日の目を見るのも「艦これ」の大きな特徴だと思います。
……実装されなかったらキットを手に入れようとか全く考えなかったでしょうし。

次回更新は飛行艇母艦「秋津洲」を予定。
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