一式陸攻

今回の更新はエフトイズ 食玩 1/144 大型機コレクションから「一式陸攻」です。
艦これにも基地航空隊の使用機として実装されており、日本海軍基地航空隊を代表する機体として知られています。
一式陸攻正面一式陸攻上面2一式陸攻上面1
双発機としては非常にスマートかつ洗練された姿を持ちます。
胴体は下のように「葉巻型」と呼ばれる形状を持ち、機首から尾部まで太い真円形となっています。
一式陸攻右側一式陸攻左側
胴体後部に描かれた日の丸の中央がハッチとなっており、搭乗する乗員は「日の丸の中央を潜る」という搭乗方法に密かな誇りを持っていたとも言われています。
一式陸攻尾部


さて一式陸攻の「陸攻」ですが、正式には「陸上攻撃機」となり略称として「陸攻」。
日本海軍における「攻撃機」とは魚雷を搭載可能な機体を表し、艦載機ではなく陸上基地から運用する為に「陸上攻撃機」となります。
一式陸攻は陸攻としては最初の成功作となった九六式陸攻の後継機として計画・開発された機体で、配備早々にマレー沖海戦において九六式陸攻と共に英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」および巡洋戦艦「リパルス」撃沈をいう戦果を挙げた事で知られています。
しかし一般的には「一撃で火を噴く」と言われ「ワンショットライター」という有り難くない渾名を持つ事でも有名です。

実際の「一式陸攻」とはどういう機体だったのか?
まず「陸攻」という機体そのものは昭和9年かそれ以前に着想されており、戦艦戦力の不利を航空戦力で補う為の手段として計画されています。
大本は九三式双発艦攻で、空母から発進する双発の大型艦攻として計画された機体が事実上空母運用適正を得られず、陸上配備になった事からスタートしました。
昭和9年の時点で双発の九試陸上攻撃機(中型攻撃機、略称中攻:後の九六式陸攻)の開発が始まり、同時に四発の大型陸上攻撃機(大攻)の開発も行われていました。
しかし四発の大型陸上攻撃機(九五式陸攻)の開発は事実上失敗、陸上攻撃機は中型双発の九六式陸攻がその主力となります。
当初は「戦闘機無用論」すら引き起こした程の高性能を持つ「九六式陸攻」でしたが、台湾から中国本土への爆撃作戦、所謂「渡洋爆撃」と呼ばれた作戦において防弾装備が皆無な事から大きな損害を被りそれまでの優秀機という評価が一転して「欠陥機」とまで呼ばれるようになってしまいました。
この「九六式陸攻」の大損害を受け、防御の改善を目的として計画されたののが一二試陸攻、後の一式陸攻となります。

最初に書いた通り、防御力が低く一撃で火を噴くワンショットライターとまで呼ばれた機体が「九六式陸攻の防御改善」を目的として開発された、という事実は些か違和感があると思います。
これは用兵側が防弾装備を強く主張したのに対し、海軍の技術者が現状の発動機では防御を重視すると性能が落ちるので空力的な洗練を加え速度を向上させる方向を主張しました。
この時用兵側の代表は大西瀧治郎大佐(当時、後海軍中将)で、大西大佐は1937年8月21日に九六式陸攻6機からなる夜間爆撃作戦に同乗、4機が中国空軍の戦闘機によって撃墜されるのをその目で見ていたが故に防御強化を強く主張したのです。
しかし技術者は「技術的に不可能」と回答するばかりで最終的に速度を以て防御力とする方針が決定、三菱への試作発注がなされる事となりました。

三菱では本庄技師を中心として設計を進め、途中でそれまでの「金星」発動機からより強力な「火星」発動機を使用する事となり、発動機出力の余裕を用いて燃料タンクの前後壁へ防弾ゴムが付される事となります。
しかし長大な航続距離の要求から後付けの防御力強化が難しいインテグラルタンク(構造部材そのものを水密構造とし、その部分を燃料タンクとして利用する方式)が採用され、被弾面積の大きな上下面が無防御となった事が後々まで一式陸攻の防御改善に影を落とす事となりました。
完成した一式陸攻は最高速度こそ440km強と九六式陸攻二一型の373kmより向上しましたが、それでも既に500kmを超えるのが当たり前となっていた戦闘機に対する優位性は望むべくもありませんでした。
それでも開戦劈頭のマレー沖海戦ではイギリス艦隊に護衛戦闘機が居なかった事もあり戦史に残る活躍を見せます。
しかし昭和17年2月にラバウル沖へ現れた米空母「レキシントン」への攻撃では全滅に近い損害を受けてしまいました(17機出撃、13機撃墜、不時着2機)。

これは低空を低速で飛ばざるを得ない雷撃においては護衛戦闘機の反復攻撃を避けられず、味方の戦闘機も皆無であった事が最大の理由ですが、それでもマレー沖海戦から僅か3カ月後でその威力が大きく殺がれてしまったのです。
しかし一式陸攻は発動機の全開高度が高く、8000mでの巡航が可能であった事もあってガダルカナル島を巡る爆撃任務では大きな損害を出していません。
実際にガダルカナル島を爆撃しに来た一式陸攻に対し、当時の米陸海軍の戦闘機は高高度性能の不足もあって満足な迎撃態勢を取る事が出来ず、迎撃に成功しても反復攻撃が難しい事から一式陸攻の撃墜は極めて困難でした。
上記の事から一式陸攻という機体は本来求められた雷撃任務時の被弾・撃墜率が極めて高く、高高度からの爆撃任務ではその高高度性能を活かし十分な生還率を確保出来たと言えます。
そんな一式陸攻の改良はそのほぼ全てが防弾防火対策との戦いと言っていいものでした。

しかし設計主務者の本庄技師は徹頭徹尾防御力強化に反対の立場を取っており、「防弾装備を施しても最初の一撃を防げる(=燃えない)だけで連射されれば結局燃えてしまう」と言い放ち、戦後になっても一式陸攻の防御強化に否定的な発言を繰り返しました。
防御が殆どない事から「日本軍の人命軽視の象徴」とまで呼ばれる事がある一式陸攻ですが、実際には用兵側が防御力の強化を主張し、官民共に技術者がそれを否定すると言う皮肉な構図が最後まで続いたのです。
一式陸攻煽り


なんか尻切れトンボだけど一式陸攻でした。
次回更新は来週末くらいに「秋津洲」もしくは「神威」の予定。
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改丁型駆逐艦「萩」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

本日2個目の更新は日本海軍最後の量産駆逐艦となった橘(改丁)型駆逐艦の「萩」となります。
橘型駆逐艦はソロモン方面における艦隊型駆逐艦の消耗に伴い計画された戦時急造型である松型駆逐艦をさらに急造に適するよう改良(?)を加えたタイプで、日本海軍最後の量産駆逐艦となりました。

「萩」全体。
駆逐艦萩全体1駆逐艦萩全体2
駆逐艦萩全体3駆逐艦萩全体4
駆逐艦萩全体5
戦時急造に適するようにそれまでの艦隊型駆逐艦と異なり直線を主体とした線図で設計され、松型までは半円形のクルーザー・スターンだった艦尾も角型のトランサム・スターンへと変更されています。
全溶接の採用とそれに伴うブロック工法の導入等、戦後の日本造船を支える基礎となったのがある意味最大の特徴かもしれません。

「萩」艦首。
駆逐艦萩艦首
前部主砲は八九式12.7cm単装高角砲で、対艦戦闘よりも対空戦闘がメインとなった戦争の様相に合わせた兵装となっています。

「萩」艦橋。
駆逐艦萩艦橋1駆逐艦萩艦橋2
艦橋前に九六式25mm三連装機銃を装備、周囲には同単装機銃が複数配置されています。
前部マスト中段には22号対水上電探を装備。
夕雲型までの日本駆逐艦とは全く異なる、建造効率最優先の箱型艦橋がいかにも戦時急造らしさを漂わせています。

「萩」中央部。
駆逐艦萩中央部1駆逐艦萩中央部2
煙突はかなり細くなっていますがこれは最大速力の低下(最大28ノット弱)を忍んで戦時量産可能と判断された「鴻」型水雷艇(1万9千馬力、陽炎型は5万2千馬力)の機関部を採用した為です。
煙突の間に九二式四連装魚雷発射管を装備していますが予備魚雷及び次発装填装置は搭載しておらず、搭載魚雷は発射管内の四本のみとなっています。
しかし搭載している魚雷に特徴があり、酸素魚雷の通称で知られる九三式魚雷の三型が搭載されています。
この三型、戦訓から最大射程を減らす代わりに弾頭重量を増やして威力を増したタイプで、炸薬量が一型の490kgから780kgと格段に破壊力が増しています。
実戦では「松」型駆逐艦の「竹」がオルモック輸送作戦において米駆逐艦「クーパー」を同魚雷で雷撃、一撃で轟沈せしめ日本海軍最後の水上戦闘における雷撃戦戦果を記録しました。

「萩」艦尾。
駆逐艦萩艦尾1駆逐艦萩艦尾2
艦尾側の砲は八九式12.7cm連装高角砲で、艦首側の単装砲と合わせて合計三門を装備。
砲数こそ夕雲型の50口径3年式12.7cm連装砲3基6門から半減しましたが、対空戦闘能力はむしろ向上していると言えます。
艦尾には猛威を振るう米潜水艦への対応として爆雷投射機と爆雷投下軌条を装備、爆雷の搭載数は36個でした。
後部マストには13号対空電探を装備、後部上構の両側には物資・人員揚陸用に小発(小型発動艇)を搭載しています。

「萩」は橘型駆逐艦4番鑑として昭和20年3月3日に竣工しました。
しかし既に水上戦闘艦を用いたまともな作戦も望めず、瀬戸内海西部で訓練を行う事しか出来ませんでした。
昭和20年7月24日、対空戦闘中に小破するものの航行に支障はなく、呉で終戦を迎え戦後は復員輸送任務に従事。
昭和22年7月16日に賠償艦としてイギリスへ引き渡され、後に解体処分とされました。

日本海軍の戦時急造型駆逐艦、橘型「萩」でした。
第二次大戦に参加した日本駆逐艦では最古参に属する「神風」型とほぼ同じ排水量の「橘」型(どちらも1300トン弱)、両者の艦型を見比べてみるのも面白いかもしれません。
「神風」「春風」はコチラ
次回更新は金剛型戦艦「霧島」の予定。

陸上自衛隊広報センター展示物

3月8日にちょっと遠出をしてきました(200kmもないけど)。
車で1時間半ほどの距離に張る佐野の映画館でガールズ&パンツァー劇場版4DXを視聴、全体の3/2は座席が揺れてた気がする……。
その後朝霞の陸上自衛隊広報センターへ。

1年半ほど前にも同じ友人と来たのですが、その時は外に出るドア周辺を塗装していて屋外展示品を見る事が出来なかったのでそのリベンジでした。
てな訳で撮影してきた物を垂れ流し。

屋内展示の90式戦車。
試作車両の為量産車両とは違う部分もあります。
陸上自衛隊広報センター90式戦車(試作車両)

砲口部分のアップ。
陸上自衛隊広報センター90式戦車(試作車両)120ミリ滑腔砲砲口

砲塔上面。
陸上自衛隊広報センター90式戦車(試作車両)砲塔上部

使用弾薬。
陸上自衛隊広報センター90式戦車用戦車砲弾
撮影位置の関係から思うようなポジションが取れないのは已む無しか……。
2階廊下部分から見下ろす形で撮れば良かったと気付いたのは帰り道でしたorz

同じく屋内展示のAH-1戦闘ヘリ。
陸上自衛隊広報センターAH-1戦闘ヘリ機首
機首を正面から。恐ろしく幅が狭く、1mもありません。

機首三銃身ガトリング砲。
陸上自衛隊広報センターAH-1戦闘ヘリ20mm機銃

前部コクピット(ガンナーシート)。
陸上自衛隊広報センターAH-1戦闘ヘリコクピット(ガンナー)

右側から見たコクピット部分。
陸上自衛隊広報センターAH-1戦闘ヘリコクピット

右パイロンに装備された70ミリロケット弾ポッド(内側)とTOW対戦車ミサイル(外側)。
陸上自衛隊広報センターAH-1戦闘ヘリ右兵装パイロン

続いて屋外展示品。
遠隔操縦観測システム、いわゆる無人偵察機です。
陸上自衛隊広報センター遠隔操縦観測システム

中距離多目的誘導弾。汎用軽装甲車の後部に搭載されたシステム。
陸上自衛隊広報センター中距離多目的誘導弾

75式自走155ミリ榴弾砲。
陸上自衛隊広報センター75式自走155ミリ榴弾砲

74式自走105ミリ榴弾砲。
陸上自衛隊広報センター74式自走105ミリ榴弾砲
翌年に上の75式自走155ミリ榴弾砲が制式化されてしまったのでほんのわずかな生産で終わってしまいました。

94式水際地雷敷設装置。
陸上自衛隊広報センター94式水際地雷敷設装置
機雷敷設時は車体後方の敷設装置が変形(?)します。
どっかに動画があるかも……。

87式自走高射機関砲。
陸上自衛隊広報センター87式自走高射機関砲
陸上自衛隊広報センター87式自走高射機関砲砲塔後部
装甲部隊へ防空火力を付与する為の車両ですが、高コストで調達数量は少数。
本来は低空を飛ぶ敵の攻撃ヘリが主目標だったのですが、最近は対地目標にも投入される模様。

89式装甲戦闘車。
陸上自衛隊広報センター89式装甲戦闘車陸上自衛隊広報センター89式装甲戦闘車後部陸上自衛隊広報センター89式装甲戦闘車砲塔
戦車部隊に随伴する歩兵を乗せて行動する、諸外国で言う歩兵戦闘車。
日本では「歩兵」という言葉を使わないようにしているので「装甲」戦闘車。
こちらも74式戦車よりお高い調達価格が災いして配備は極めて限定されてしまいました。

74式戦車。
陸上自衛隊広報センター74式戦車
40年前に制式採用された古兵ですが、いかにも「戦車」という外見からファンも多い車両です。

10式戦車。
陸上自衛隊広報センター10式戦車
74式戦車の代替として量産継続中の陸自主力戦車。
総合火力演習で何度か見ていますが、スラローム走行しながら砲撃>命中とかマジ化け物。
90式もそうだけど、30~40kmで走っている状態から2秒以下で停止(通称殺人ブレーキ)とか中の人が心配になります。

74式&90式後方。
陸上自衛隊広報センター10式&74式戦車後部

以上、朝霞駐屯地隣接の陸上自衛隊広報センターの展示品でした。
入場無料な上自衛隊土産も多く、戦闘糧食Ⅱ型と同等品も売られていて好きな人にはお勧めの施設です。
特に屋外展示品は「上に乗るな」という注意書きはありますが「触るな」とは書いていないので手が届く範囲で触れることも出来ます。
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大隅4001

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