軽巡洋艦「夕張」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

連続更新4日目&最終日の本日は軽巡洋艦「夕張」です。
模型の夕張は対空兵装強化工事後、米潜水艦「ブルーギル」に撃沈されるまでの姿を再現したものです。
夕張全体1夕張全体2夕張艦橋
「夕張」は大正六年度の八四艦隊計画で建造予定だった5500トン型1隻の計画を途中で変更、5500トン型と同等の兵装をより小型の艦で実現するという目的の元建造された、実質的に実験艦と言うべき軽巡洋艦です。
主砲は5500トン型より1門減としつつ全主砲を中心線配置とした事で片舷砲力は同等、魚雷発射管も搭載数は連装2基と半減しているものの主砲と同じく中心線配置により片舷雷撃力は同等とされました。
また主砲は単装砲と連装砲各2基を軽巡洋艦としては初めて前後共に背負い式配置としている事も大きな特徴となっており、同時に基準排水量は2890トン(計画値)、5500トン型に比してほぼ3/5の排水量でこれらの兵装を搭載する事に成功しました。
夕張前部夕張艦尾
主砲配置は艦首・艦尾側に14cm単装砲、その後(前)に14cm連装砲を背負い式に装備、単装砲は砲塔ではなかった為に連装砲の爆風から砲員を保護する為のブラスト・スクリーンが装備されています(連装砲の砲身先端下部に取り付けられているのがブラスト・スクリーン)。
夕張の設計に当たっては排水量を抑制する為に従来の軽巡洋艦とは異なり駆逐艦式の設計が多く取り入れられており、その基本計画番号が「F42」であることも夕張が軽巡洋艦と言うよりむしろ大型駆逐艦としての方向性で建造された事を示しています。
 ※基本計画番号「F41G」は望月型、「F43」は吹雪型。巡洋艦の基本計画番号は「C」が頭文字。
それを裏付ける資料としては構想を打ち出した平賀譲のメモにも「3000トン級大型駆逐艦」「機関設計から見ても駆逐艦」という文言が残されていることが挙げられます。
また、夕張は舷側装甲を強度部材に取り込む事で船穀重量を軽減するなど設計面で徹底した軽量化を図っています。
装甲配置も独特なもので、外側に硬度の高い19ミリのHT(高張力)鋼鈑を配置しその内側0.8~1mの位置に粘り強さを持つ38ミリのNVNC(ニッケル・クロム均質)鋼鈑を設け、外側のHT鋼鈑で敵弾を炸裂させ、内側のNVNC鋼鈑で断片を受け止める事を目的としたものとなっています。
しかしながら完成後の技術的評価はともかく、軽巡洋艦としての評価は散々なものでした。
海軍は夕張に対し水雷戦隊旗艦としての適性がないとの判断を下しており、その理由として「雷撃能力が低い(片減4射線では不足)」「水偵搭載能力がない」という2点を挙げています。
5500トン型と同等の兵装をより小型で実現させる事を目的とした夕張は、その小型化故に後の改良を受け入れるだけの余力に欠けていたのです。
とはいえ使用実績は悪くはなく、その後の「古鷹」型に始まる日本重巡洋艦の技術的起点となった点で極めて重要な位置付けにある艦でもありました。
外観上の特色としては誘導煙突の存在が大きな特色となっており、この誘導煙突は艦橋配置と共に見た場合「遠距離から艦の前後方向が明確に判る」などの海外からの批判もありましたが、実用上は全く問題ありませんでした。
夕張煙突1夕張煙突2

魚雷発射管は艦の中央部に2基装備されており、その間には高角砲を装備(模型では機銃へ換装済)しており、その下部には予備魚雷が搭載されていました。
夕張中央部夕張中央部兵装配置

全体の兵装配置は上から見た場合このようなものとなっています。
夕張俯瞰

1番主砲は12cm単装高角砲へ、4番主砲は96式25ミリ三連装機銃へ換装されています。

なお、艦これにおいては夕張は「兵装実験軽巡」と自称しておりますが実際に実験されたのは上で書きましたように装甲を強度部材に取り込む、小型艦で背負い式配置を実施するなどであり、兵装そのものの試験は行っていません。
むしろその小型化から来る余裕のなさにより就役後に目立った改装工事が殆ど行われていないのが実情です。

以上、軽巡洋艦「夕張」でした。
写真ストックが切れたので次回の更新はGW中になる予定。
「龍田」と「北上」を順次更新するつもりです。
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給兵艦「樫野」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

連続更新3日目、給兵艦「樫野」でございます。
「樫野」という艦名も「給兵艦」という艦種もかなりマイナーなものなので、ご存知ない方も多いと思われます。
まず「給兵艦」という艦種ですが、これは本来ドライ・カーゴ(燃料や真水以外の補給物資)の中でも武器弾薬類を中心に補給する艦の呼称として使われています。
が、「樫野」は給兵艦という艦種分類にされてはいるものの弾薬補給は最初から本来の任務とはされていません。
……「武器」は間違いなく輸送(補給に非ず)する為に作られているのですが。

では「樫野」とはいかなるフネなのでしょうか?
答えは↓(即座のネタばれ防止の為若干スクロールしてください)




























給兵艦樫野給兵艦樫野正横

……おわかりになりますでしょうか?
前よりに設置された艦橋の前後に合計3か所の巨大なハッチが設けられており、艦橋の後部2か所に搭載されているのは「大和型戦艦の46cm三連装砲塔」です。
艦首側に搭載されているのは46cm砲の砲身で、最大6本が搭載可能でした。

つまりこの「樫野」、給兵艦という艦種に分類されてはいるものの実際には「砲塔運搬艦」、それも大和型戦艦の主砲運搬用に建造された艦なのです。
本艦は機密保持を徹底するために一般の造船所には発注出来ず、砲塔の輸送先である「武蔵」を建造した三菱長崎造船所に発注されました。
これは何故かと言うと46cm砲の砲塔・砲身生産設備が呉海軍工廠にしかなかった為で、輸送に民間船を使った場合の情報漏洩を恐れた海軍が「大和」「武蔵」の建造決定と同時に「樫野」の建造を決定したのです。

船体構造も座礁等の事故が致命傷にならないよう艦底部は完全な二重底となっており、一部は舷側付近まで二重構造となっていました。
また機関としてホ号艦本式重油専焼缶と共に技術吸収の一環として搭載した米ラモント社製のラモント缶は蒸気温度450℃、蒸気圧50気圧と「島風」のそれを上回るものでした(島風は400℃、45気圧)。
タービンもスイスのブラウン・ボベリ社製のものを採用しており、一種の実験艦としての要素も持っていたと言えるでしょう。

完成後の昭和16年、予定通りに呉から武蔵を建造している長崎へ砲塔3セットを2度分けて輸送、建造時の任務を果たしました。
その後は大和型三番艦「信濃」の砲塔輸送に従事する筈でしたが開戦により信濃の建造は中止命令が出され、砲塔運搬艦としての任務がなくなった「樫野」は通常の輸送艦としての任務に就く事となります。
が、昭和17年9月に台湾沖で米潜水艦「グロウラー」の攻撃を受け撃沈されその生涯を閉じました。

以下各部UP画像。
樫野艦首、十年式12cm高角砲を装備。
給兵艦樫野艦首

樫野艦尾、こちらにも十年式12cm高角砲を装備。
給兵艦樫野艦尾

樫野艦首側船倉、46cm砲の砲身が並んでいるのが判ります。
給兵艦樫野46cm砲砲身搭載部

樫野中央部、46cm三連装砲塔の基部が積まれている状態なのが判ります。
給兵艦樫野砲塔搭載部給兵艦樫野中央部

以上、給兵艦「樫野」でした。
日本海軍は機密保持の為にこんな艦まで建造していたのです、というお話。
にしてもまさかこんなマイナーな艦までプラモ化されるとは思いませんでした……。
前回の「間宮」もそうですが、艦これ効果による艦艇模型業界への波及はガルパンによる戦車模型のそれを遥かに凌駕していると思います。

次回は軽巡洋艦「夕張」の予定です。



なおブログ主の保有する模型はこんな感じで設置されている(飾っているとは敢えて言わない)模様。
P4190927.jpg
前後2列&別の場所にも5隻程。
……置き場所がどんどんなくなっていく現状、現在30隻ちょっと……orz

給糧艦「間宮」

立て続けの更新は希望のありました「間宮」でございます。
なお、ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

海軍の大型給糧艦として大正時代に建造された艦で、外見は完全に当時の商船そのものです。
給糧艦間宮1給糧艦間宮2給糧艦間宮正横
基準排水量は約1万5千トン、神戸川崎造船所で建造され大正13年7月15日に竣工。翌年聯合艦隊へ編入されました。
食料の搭載量は1万8千名分を3週間養える程度と言われ、重量換算では約1000トン弱となります。
また、艦内にはこんにゃく、豆腐といった一般食品のみならず、最中、羊羹、饅頭、ラムネ、アイスクリーム等の甘味品の製造能力を持ち、最中1日6万個、羊羹2200本、大福餅1万個他多数の甘味品が作れたと言われています。
なお模型は1944年に米潜水艦「シーライオン」によって撃沈された時のものを再現したものとなっています。

間宮の艦首と艦尾。
給糧艦間宮艦首給糧艦間宮艦尾
艦首と艦尾に14cm単装砲を装備していますが、これらは平時は搭載されず戦時にのみ搭載されました。
艦首と艦尾にあるハッチは物資搭載用のもので、荷役作業に使用するデリックが多数設置されているのも特徴と言えるでしょう。

艦中央部。
給糧艦間宮中央部1給糧艦間宮中央部2
一際細長い煙突は燃料費を節約するため機関に石炭と重油の混焼缶を採用したためで、石炭の燃えカス(煤煙)が甲板に落ちてこないようにする為でした。
艦橋後部のハウス上のは96式25mm連装機銃、艦橋両脇には8cm単装高角砲が装備され物々しい姿となっています。
また、左側の写真でも判ると思いますが、艦橋の前後幅が極めて狭く、艦の両舷に渡って設置されていますが、これは当時の汽船に一般的な形状で、船橋(ブリッジ)の言葉はこの形状が元になっているとの説があります。
艦橋アップ。
給糧艦間宮艦橋
塗装と兵装を除けば当時の大型貨物船と殆ど変わらない姿です。
平時は各艦への食糧補給、戦時はトラック島へ進出した艦隊への食糧補給と地味な役所ながらその働きは目覚ましく、「間宮が来る」というだけで将兵の士気が上がったとも言われています。
この為当時の海軍は間宮の行動に際しては複数の駆逐艦を付けていたと言われるなどその扱いは丁重かつ厳重なものでした。
実際に間宮が撃沈されたとの情報を耳にした将兵の落ち込みぶりは大きかったと言われています。
艦これにおいても間宮を使用すると疲労が回復するのは正しく史実の反映だと言えるかもしれません。

次回は
・軽巡洋艦「夕張」
・給兵艦「樫野」
の何れかを予定しています。
なお月末までに
・重雷装艦「北上」
・軽巡洋艦「龍田」
の2隻がラインナップに加わる予定デス。

陽炎型駆逐艦

さて今回は吹雪型を起点として発展してきた日本海軍の艦隊型駆逐艦、その完成形とも言うべき陽炎(甲)型駆逐艦です。
なお、ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

日本海軍の艦隊型駆逐艦は吹雪型以降、軍縮条約の制限を受けつつ初春型>白露型>朝潮型と発展してきました。
朝潮型において兵装面での性能はほぼ完成(12.7cm連装砲3基、61cm四連装発射管2基(次発装填装置付))の域に至りましたが、最大速力と航続力においてまだ不足と見做されていました。
これを解決したのが今回紹介する陽炎型で、最大速力35ノット(朝潮型34.85ノット)、航続距離18ノットで5000海里(実測値は6000海里近く。朝潮型は18ノットで4000海里、ただし実測値は18ノットで5000海里近く)とされました。
……カッコ内に記した通り、実は朝潮型も性能改善工事後の実測値はほぼ陽炎型の計画値に匹敵するものとなっています。
他に朝潮型からの変更点として魚雷次発装填装置の配置が変わったことがあげられます。
朝潮型では2番煙突の両舷に装備していた1番発射管用の次発装填装置を1番煙突横の両舷装備に改め、朝潮型では前から【1番発射管】【1番発射管用次発装填装置】【2番発射管】【2番発射管用次発装填装置】と隙間なく魚雷関連装備が並んでいたのを修正しました。
これは搭載している魚雷が誘爆した時に連鎖爆発を防ぐためのレイアウトでした。
また、陽炎型は戦前に全艦が完成し、各艦一定の訓練期間を経て必要十分な錬度を確保する事が出来た最後の艦隊型駆逐艦でもありました。
改陽炎型とも言える夕雲型はネームシップの夕雲ですら1941年12月5日の竣工で、陽炎型程の訓練期間を得られず、完成次第戦場に投入され消耗していくという状態でした。
そういう点から見ても陽炎型は真に日本海軍水雷戦隊の主力構成艦であったと言えるでしょう。

右上より雪風、不知火、天津風
陽炎型(右より雪風、不知火、天津風)

さて、ここからは「雪風」と「天津風」を並べて製作の差を見ていきたいと思います。
「雪風」はウォーターラインシリーズでよく行われるディティールアップ(エッチングパーツによる手摺&艦橋窓枠&ラッタル等の再現、空中線の追加、装備品の一部をナノドレッドシリーズへ置き換え)を施して完成させたもので、「天津風」はそれに加えマストを金属製パーツへ交換、砲塔・魚雷発射管のジャッキステーや内火艇の固縛帯等の再現がなされています。

まずは艦首部。以下左側が「雪風」、右側が「天津風」になります。
なお、「雪風」は1945年4月の菊水作戦時の姿、「天津風」は1943年頃の第一次対空兵装強化後の姿となります。
陽炎型雪風艦首陽炎型天津風艦首
一見してマストの太さが違う事が判ると思います。
1/700という関係上、どうしてもキットのマストは若干オーバースケール気味になってしまう為、アフターパーツによるマストの変更により見た目の違いがかなり変わります。

続いて艦尾。
陽炎型雪風艦尾陽炎型天津風艦尾
「雪風」は対空兵装強化の為2番主砲を撤去、25mm三連装機銃を2基装備しているのが外観上大きな違いとなっています。
改装工事をしていない「天津風」はその分シンプルなものとなっており、後部マストも13号対空電探未装備となっています。

艦中央部。
陽炎型雪風魚雷発射管陽炎型天津風魚雷発射管
陽炎型雪風後部兵装陽炎型天津風後部兵装
白露型以降、朝潮型、陽炎型、夕雲型と日本海軍駆逐艦の標準魚雷兵装である92式魚雷発射管2基とその次発装填装置が並ぶ艦中央部。
1番煙突両脇に装備された箱状の逆ハの字型のものが1番発射管用の次発装填装置で、使用する際は発射管を後ろ向きにして魚雷を装填するようになっています。
下の写真は2番発射管用の次発装填装置を艦尾側から撮影したもので、2番発射管の後ろに斜めに装備された箱状のものが次発装填装置です。
こちらは1番発射管と違い、定位置から右へ僅かに旋回させるだけで4本連続しての次発装填が可能となっています。

「雪風」と「天津風」の比較画像でした。
精密感という点では徹底的なディティールアップを行った「天津風」の方が上ですが、「雪風」のように適度なディティールアップでも充分な完成度になっているのが判ると思います。
エッチングパーツを大量に使用すると本体のお値段の数倍になる事もありますし、どこまで手を入れるかはやはり製作者次第という事になります。
今の新作キットは素組み+甲板の限定塗装+スミイレでも充分に見栄えがしますので、「艦これで興味持ったけどどうしようかな」と迷っておられる方は是非一度キットを手にとって頂ければと思います。

次回は次のうちどれか。なお撮影は終了済みなので希望があればたぶんその時点で記事作成します。
軽巡洋艦「夕張」
給糧艦「間宮」
給兵艦「樫野」
希望する艦がありましたらコメント欄に一言頂けましたら幸いです。
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