工作艦「明石」&給糧艦「間宮」(開戦時)

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回は工作艦「明石」および給糧艦「間宮(開戦直前)」です。
「間宮」についての基本的な解説は以前掲載した「間宮」をご覧ください。
戦争末期の対空兵装を強化した姿と最低限の自衛用武装のみを施した開戦時の姿を見比べて頂けると幸甚です。

「明石」は日露戦争で鹵獲した商船を改造した工作艦「関東」(1920年工作艦に類別)が1924年に沈没して以降、海軍が求めていた新造工作艦です。
1934年にようやく新造工作艦の予算が認められ、なんともアレな話ですがそれまでに工作艦を新造した経験がなかった為に海外の同種艦である米工作艦「メデューサ」を参考に基準排水量1万トン、速力18ノットで無補給で3カ月間の行動を可能とする、といった形で計画が纏められました。
1937年に起工され、1939年に就役した「明石」はその艦内にはドイツ製の最新工作機器を多数揃え「1隻で平時の聯合艦隊が必要とする修理の40%を受け持つ事が出来る」と言われるほどの能力を持つ事となります。

工作艦「明石」。今回は「間宮」と同じケースにビス止めしてあるので2隻一緒の紹介となります。
明石&間宮全体1間宮&明石全体2間宮&明石全体3間宮&明石全体4
ケースの湾曲側が「間宮」、直線側が「明石」です。
外見で顕著なのが高い乾舷と平甲板で、これは艦内工場に必要な床面積を確保すると共に上甲板を作業場として使用する為に可能な限りフラットにする為の措置でした。

艦中央部。
間宮&明石中央部1間宮&明石中央部2間宮&明石中央部3
中央部の煙突は艦内工場からの排気用で、艦尾側の煙突はディーゼル主機からの排気用です。
重量物移動用の大型クレーンが複数設置された艦容はまさに動く工場としての姿を如実に表していると言えるでしょう。

艦首と艦尾には自衛用の八九式12.7cm連装高角砲を一基ずつ装備。
間宮&明石艦首2間宮&明石艦首3間宮&明石艦尾1
この時期に建造された補助艦はその大半が八九式12.7cm連装高角砲を装備しており、自衛の対象が水上戦闘艦よりも航空機に移り始めている事を示しています。
こちらは「間宮」の艦尾UP。対空機銃の増設前です。
間宮艦尾

明石の艦橋は戦闘を主任務としていない為に艦型に比して小さめで、高い乾舷と相まってかなり腰高な印象を受けます。
明石艦首正横明石全体
また艦橋後部はクレーン基部を兼ねており、複数のクレーンが装備されているのが判ります。
明石艦橋後部

「明石」は平時は国内で海軍工廠が行う修理作業の一部を代替し、戦時は前進拠点であるトラック泊地に進出して損傷艦の修理に当たる事になります。
戦時中に撮影された「明石」の写真でも舷側に損傷艦を横付けさせ、応急修理中の姿が多く残されています。
また、アメリカ海軍は「明石」を日本海軍の継戦能力を支える最重要目標と見做し、攻撃優先順位の最上位に位置付けていたと言われています。
そんな「明石」ですが、1944年3月のパラオ空襲において撃沈され、日本海軍は最大かつ唯一の前線修理能力を失ってしまったのです。

次回は帝国海軍艦艇ではなくハセガワの「1/4000 SDF-1マクロス」の予定デス。
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重雷装艦「北上(改装直後)」

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予告通り今回は重雷装巡洋艦「北上(改装直後)」でございます。
北上全体1北上全体2北上全体4北上全体5
「艦これ」においては「スーパー北神北上様」と呼ばれると同時に大井と合わせて「ハイパーズ」の愛称を持ち、イベントボス戦で彼女達のカットインや連撃によって勝利を手にした方も多いのではないでしょうか?

さて「北上」は5500トン型軽巡洋艦の第一陣「球磨」型三番艦として1921年4月に就役しました。
5500トン型軽巡洋艦は八八艦隊計画における艦隊のワークホースとして3型式14隻が整備され、1920年代においてほぼ同一の性能を持つ36ノット級巡洋艦を14隻も揃えたのは日本海軍だけで、他の追随を許さぬ戦力を有していたと言えるでしょう。
同時期のイギリス海軍は1910年代に多数の軽巡洋艦を建造していたものの、最高速度は28~29ノットの艦が殆どで数量としてはともかく性能面では若干見劣りするものでした。
アメリカ海軍はカタログスペックでは5500トン型を凌ぐ「オマハ」級軽巡洋艦を10隻建造していましたが、太平洋と大西洋へ分割配備しなければならなかったこと、艦体が軽構造で高速航行中に燃料タンクへ海水が浸入するなどの欠点もあり、やはり性能バランスと数量という意味では日本海軍に劣っていたと言えます。
オマハ級軽巡洋艦はアメリカ海軍が深刻な巡洋艦不足に陥ったガダルカナル戦においても前線に投入されずに終わりました。この一点を見てもアメリカ海軍が同級をどのように評価していたかの一端が伺えます。

北上左舷正横より
北上全体3

就役時には優秀な性能を誇った5500トン型軽巡洋艦でしたが、流石に1930年代後半ともなると旧式化が目立ち始めます。
特に第一陣である「球磨」型は雷装が53.3cm連装4基(片舷2基)と第二陣の「長良」型&第三陣の「川内」型の61cm連装4基(片舷2基)に比べ劣っている事もあり、本来の軽巡洋艦として近代化改装を施すのではなく、特化させる事で延命を図る事になりました。
それが今回の「北上」で、僚艦「大井」と共に61cm4連装魚雷発射管10基を装備する(通称)「重雷装艦」への改装が決定しますぶっちゃけ旧式艦のリサイクルなんですが

この「重雷装艦」は九三式酸素魚雷の実用化とそれに伴う新しい水雷戦術を実現する為に構想されたもので、主力部隊に随伴し2~3万mの距離から敵艦隊に対し隠密長距離雷撃を実施する事を前提としています。
この長距離隠密雷撃は重巡洋艦と重雷装艦によって行うもので、1個重巡戦隊による雷撃(24~32射線)が必要最低限度の発射数とされています。
片舷20射線の雷撃力を持つ重雷装艦は2隻で重巡1個戦隊を上回る斉射が可能であり、さらに反転してもう一度同じだけの魚雷を撃つ事が可能な雷撃専門艦でした。
この雷撃力を持たせる為に艦橋より後部に配置されていた既存兵装を全て撤去、甲板を拡大して片舷5基の61cm4連装発射管を装備、下手な火葬仮想戦記に登場するトンデモ艦など裸足で逃げ出す外見を持っています。

艦橋付近。
この辺りは建造当初の雰囲気を色濃く残しており、ここだけ見れば普通の5500トン型とあまり変わりはありません。
艦橋周囲に装備されているのは3年式50口径14cm単装砲です。
北上艦首北上艦橋後部

両舷に配置された92式61cm4連装発射管。
北上中央部1北上中央部2
お題に「改装直後」と入れてあるのは当初この写真のように魚雷発射管に波除のシールドが装備されていなかった為で、後に水雷科員からの要望により簡易型のシールドが装備されています。
……いつ見ても一発の被弾が命取りになるであろう配置です。

艦尾にはデッキが設けられ、その上部に本来は煙突周辺に搭載していた艦載艇が乗せられています。
北上艦尾

……が、開戦劈頭に行われた真珠湾攻撃によって米戦艦群は壊滅、対戦艦部隊への雷撃「のみ」を前提とした重雷装艦は相手を失ってしまいました。
結果、ミッドウェー海戦後に一部の魚雷発射管を下ろして高速輸送艦へ改装され僚艦「大井」と共に輸送作戦やその護衛に従事する事となります。
1944年7月には「大井」を米潜水艦「フラッシャー」の雷撃で失い、同年8月には佐世保工廠で回天搭載母艦へと改装されました。
しかし戦局は既に水上戦闘艦の行動を許すような状況ではなく、「北上」は1945年7月の呉空襲において大破。
沈没こそ免れたものの機関部を破損して行動不能となり終戦を迎え、14隻建造された5500トン型軽巡洋艦の中で敗戦時に唯一その姿を水上に留める事となりました。

史実では事実上全く改装の意味がなかった重雷装艦化ですが、艦これの中では海軍が想定した以上の大活躍を見せ、僚艦大井と共に特にボス戦でその真価を発揮しています。

天龍型軽巡洋艦二番艦「龍田」

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デジカメ様が予定より早く帰ってきたので「龍田」を撮影しました。
「龍田」は以前掲載した天龍の姉妹艦で、天龍型二番艦になります。
基本的な概要は天龍と同じなので、上記のリンク先の説明を見て頂ければ幸いです。
ですので今回はハセガワ渾身(?)のリニューアルで天龍、龍田の差異についての説明がメインとなります。

まずは全体像。
龍田全体1龍田全体3龍田全体2
同型艦だけにぱっと見ただけではどちらがどちらか判りません。

しかしハセガワのリニューアルキットでは現在までに判明している識別部分を可能な限り再現しています。
まず艦橋部分、左側が「天龍」、右側が「龍田」になります。
天龍艦橋(龍田比較用)龍田艦橋(天龍比較用)
艦橋窓の「高さ」が違い、天龍の方が窓が狭く、龍田の方は窓が大きくなっています。
現存する写真などでもこの違いは判明しているのですが、金型を流用した箱換えキット(中身は同じで箱のみ別)である初代WLの天龍&龍田では再現されていませんでした。
また、艦橋下部に取り付けられたホーサーリールの取り付け方法も天龍で横、龍田で縦とされています(ホーサーリールは係留用の舫い綱等を巻きつけておくドラムの事)。

続いて後檣部分。
天龍後檣(龍田比較用)龍田後檣(天龍比較用)
かなり判り辛いと思いますが、「天龍」の後檣(マスト)は中段で接ぎ木をする形となっており、「龍田」のそれは段差がなく完全な一本棒となっています。

最後に甲板部分。
天龍俯瞰(龍田比較用)龍田俯瞰(天龍比較用)
これはまだ確定していない部分なのですが、ハセガワは今回のリニューアルに辺り一歩踏み込んで再現を試みたようです。
甲板上に張られたリノリウム(写真で茶色の部分)という断熱・緩衝材を押さえる金具の取り付け方法が「天龍」は艦首尾方向に対し横向き、龍田が縦向きとなっています。
これは龍田の後に同じ佐世保海軍工廠で建造された「球磨」や「由良」が縦向きである事からの推測と思われます。

WLシリーズでは「天龍」「龍田」ともに不人気艦だったのですが、「艦これ」サービス開始以降急激に売り上げが伸びたと言われ、それが完全新規金型によるリニューアルに繋がったようです。
5年前に「ハセガワが天龍龍田を完全新規金型でリニューアルするぜ!」などと言おうものなら「妄想乙」「寝言は寝て言え」と言われる事間違いなしのレベルでした。
それが同一キットによる箱換えどころか両艦の識別点までも再現するとは本気で誰も予想していなかった出来事です。
今後も「艦これ」による艦艇模型界の特需が特需で終わらず、高齢化の進む艦艇模型界に新規のユーザーが増えて行く事を期待したいですね。

次回はハイパー北神様重雷装巡洋艦「北上」を予定しています。
写真撮影は終わったので早ければ明日中に更新出来るかも?

……おかしい、整理用に棚を追加したのにもう一杯になってるorz
置き場所2

まるゆ

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

デジカメが壊れたのでパソコン内のフォルダを漁っていたら撮影済みのまま使用していなかった「まるゆ」の画像が5枚出てきたのでようやく更新。
陸軍がガダルカナル戦における補給状況を鑑みて「海軍の護衛は当てにならない」という判断のもと(それはそれである意味正しい)、「知られたら絶対邪魔されるから海軍には極秘で作ろう」というとんでもない決断で開発が決まった存在です。
実際問題として陸軍が潜水艦に手を出す事は権限を侵すものとして建軍の精神に反するとされかねないものでした。
それでも陸軍が開発を強行したのは陸海軍における補給に対する認識の差が大きく影響しています。

まるゆ全体像
まるゆ1まるゆ2まるゆ3
艦橋前に搭載されているのは対戦車砲を改造した

一般的にガダルカナル戦における飢餓状態の発生等により補給・兵站に対する理解がないと思われがちな日本陸軍ですが、実際には陸軍の補給に対する理解はそうひどいものではありませんでした。
ガダルカナル戦においては後方の集積拠点に物資をきちんと輸送しており、失敗したのはあくまでも最後の作戦輸送なのです。
そして作戦輸送の護衛を担うのは海軍の責任であり、その護衛任務を軽視していたのが海軍でした。
これは陸海軍の補給に対する理解の差から生まれたもので、陸軍は兵が戦う為には食料弾薬を始め莫大な物資を運ばねばならないという現実をきちんと認識していたのですが、海軍はそもそも燃料弾薬から食料、衣料品に至るまで全てフネに積み込んだ状態で行動する事が前提でした。
この為海軍では基本的に自前の搭載物資で必要なものを賄えてしまう為に「物資を運ぶ輸送船を護衛する」という認識が極めて薄いままだったのです。
何しろ一度出撃してしまえば基本的には作戦を終えて港に戻るまでの間、当時の洋上補給能力という問題もあって燃料くらいしか補給の必要がありません。
この認識の差により陸軍が孤島で戦い続ける為には絶え間ない食料弾薬の補給が必要である、という単純な現実を理解出来なかったとも言えるでしょう。

まるゆ艦内
まるゆ1

実際、ガダルカナル島の放棄が決定した後、ソロモン諸島を巡る戦いの前線をどこに置くかという会議でも海軍の無理解ぶりが判ります。
陸軍は「補給の困難さを考え最低でも北部ソロモンまで後退、可能ならばラバウルまで前線を下げる」事を提案したのに対し、海軍は「中部ソロモンを確保する」と回答しています。
補給に関してはぶっちゃけ「なんとかなります」以上の考えはなく、この点だけでもガダルカナル戦での補給途絶という意味を全くと言っていいほど理解していなかった事が伺えます。
そして実際に中部ソロモンのコロンバンガラ島やニュージョージア島といった島々では(ガダルカナル島程ではないにせよ)補給の途絶に苦しみ、「セ号作戦」と呼ばれた大発による撤退作戦が実施される事になります。
海軍の態度が終始こんな感じだった事に加え、今後の潜水艦輸送任務には海軍が新規開発する輸送用波号潜水艦に陸軍船舶兵を乗せて運用するという案が出されたのですが、海軍側に潜水艦運用の主導権を握られる事を恐れがある事からこれを拒絶、後にまるゆとなる潜航輸送艇の開発を決定しました。

まるゆ左舷正横
まるゆ左舷正横

開発の経緯等はさておき、攻撃能力を最初から切り捨て突貫建造に特化したまるゆはなんと1943年末には一番艇が就役。
最初にフィリピン向けの輸送作戦に従事しましたがこれは成功とは言い難く、派遣した3隻全てを喪失。
その後は八丈島や硫黄島への物資輸送を始めとする輸送任務に投入されています。
最終的に30隻以上が就役したまるゆは細々とした輸送ではありましたが既に水上艦艇では往復も困難になっていた地域への輸送を堅持し続け、孤島に配備された部隊への補給を担い続けたのです。

さて、これに対し海軍の輸送潜水艦は?
潜輸大、潜輸小共にまるゆの竣工から1年以上後にようやく完成したもののまるゆ程の実績は残すことは出来ませんでした。
陸軍が潜水艦を、それも海軍に黙って建造すると言う経緯には批判もあるでしょう。
しかし海軍がまるゆほどの簡略化に踏み切る事が出来ず、結果として輸送潜水艦の就役時期が遅れた事を考えればまがりなりにも実戦化を果たし一定の成果を収めたという事実は重いものがあると言わざるを得ません。

海軍の伊号潜水艦とまるゆの大きさ比較
伊号潜水艦セット&まるゆ全体
左上が伊号第400型潜水艦、右上が海軍の大型輸送潜水艦伊号第370潜水艦(輸送作戦を諦め回天搭載母艦へ改装された姿)、その間のちんまいのがまるゆ。
下段左が伊号第16潜水艦、下段中央手前側が伊号第68(後に艦名変更で伊号第168潜水艦に)、下段右が伊号第58潜水艦。

なおまるゆは艦内にトイレがなく、一斗缶を半分に切った「おまる」に水を入れ臭気除けとして表面に油膜を張ったものを使用していました。
……急速潜航時や荒天時に艦内がどのような有様になったのかは想像したくないですね(==;
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大隅4001

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