秋月型駆逐艦「秋月」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回は日本海軍初の本格的防空戦闘能力を与えられた乙型駆逐艦「秋月」でございます。
「秋月」は日本海軍で主砲に高角砲を採用した最初の駆逐艦であり、その原型は魚雷発射管を持たず空母機動部隊及び主力部隊の護衛を任務とする「直衛艦」でした。
しかし計画段階で魚雷発射管を装備する事が決定され、駆逐艦に分類されることとなります。
主砲として九八式65口径10cm連装砲を4基を搭載しこれを管制する九四式高射装置を艦橋トップに装備、さらに近接対空兵装として九六式25mm連装機銃を2基装備。
水雷兵装は九二式魚雷発射管1基(次発装填装置付)、艦尾には爆雷投射機を備え対空・対艦・対潜と全てにおいてバランスの取れた艦として完成しました。
模型は「秋月」最後の戦いとなったエンガノ岬沖海戦時の姿を再現したものとなります。
なお艦これにおいては2014年の秋イベントのE-2突破報酬という形で実装されたものの、未だに本実装されておりません。
妹の「照月」は持っていても「秋月」は持っていないという提督も増えているのではないでしょうか……。

秋月全体1秋月全体2
基準排水量は2700トン、満載排水量は3880トンと軽巡洋艦「夕張」に近い排水量を持ち、大きさを比較しても全長で5mほど短いだけで、駆逐艦としてはかなりの大きさとなっています。

秋月全体3秋月全体4
以前掲載した「夕張」と比較して頂くと判り易いのですが、全体的な配置が極めて似通っています。
この為大きさも「夕張」とほぼ同等の「秋月」型は当初米軍によって「夕張型の対空兵装強化ではないか?」と誤認されたと言われています。
後にB-17による空撮写真の解析から新型艦である事が判明、最初に個艦名が判明した「照月」の名前を冠して「TERAZUKI-CLASS(RAは訳し間違いの為)」とされました。

「秋月」艦首部分。
秋月艦首
日本駆逐艦としては珍しい、艦首側で背負い式に装備された10cm連装砲が目を引きます(他には初春型「初春」「子日」竣工時のみ)。
この高角砲は初速1000m/s、発射速度毎分最大19発(実質は15発前後)という高性能砲で、「秋月」型以外では航空母艦「大鳳」および軽巡洋艦「大淀」に装備されました。
なお日本海軍は特Ⅱ型駆逐艦で三年式12.7cm連装砲のB型で駆逐艦用主砲としては世界初の高角射撃能力を付与しており、巷間言われるように対空戦闘能力を軽視していた訳ではありません。
とはいえ特型就役当時の航空機に対しては一定の能力を持っていたとはいえ(当時の航空機は複葉機!)昭和10年代中ごろともなるとその能力は陳腐化しており、その意味でも「秋月」は新世代の駆逐艦だったと言えるでしょう。

「秋月」中央部分。
秋月中央部秋月中央部2
3基の缶からの排気は一つに纏められており、外見上主砲配置と共に既存駆逐艦との大きな差異となっています。
艦橋横から煙突に伸びる細い煙突は烹炊所(台所)からの排気用。
2番砲から煙突後部の機銃台の位置までの甲板上に九六式25mm単装機銃が並んでいるのが判ると思います。
魚雷発射管は1基ですが後部に次発装填装置を備え、一定の雷撃能力を保持しています。
「秋月」型の魚雷発射管は批判される事も多いのですが、実際には空母機動部隊の直衛任務と言えど敵艦隊に遭遇する可能性はあり、特に損傷して行動不能になった場合は日米共に水上戦闘艦によって空母を捕捉される事例が発生しています(南太平洋海戦のホーネット、エンガノ岬沖海戦の千代田、サマール沖の米護衛空母部隊等)。
こういった場合自沈処分するにせよ接近する艦隊に反撃するにせよ、駆逐艦程度の大きさで搭載可能な砲でこれを遂行するのは極めて困難であり、この点からも魚雷発射管は必要であったと言えるでしょう。
特にエンガノ岬沖海戦においてはその最終局面において「秋月」型駆逐艦「初月」が単艦でデュボース少将率いる米巡洋艦部隊(重巡洋艦3、軽巡洋艦1、駆逐艦12)に対し2時間もの間抵抗し続け、味方艦の撤退を援護した後に撃沈されるという事例が発生しました。
この戦いにおいて米軍は「初月」が魚雷発射態勢に入った事を警戒し2度に渡って回避運動を余儀なくされており、魚雷を持つという事それ自体が大きな抑止力となっていた事を物語っています。

「秋月」艦尾部分。
秋月艦尾秋月艦尾兵装
「秋月」の艦尾付近は既存駆逐艦と比べて搭載砲の違い以外はあまりありません。
後部上構に高射装置を装備する予定があった為、これを転用した機銃台があるかどうかというのが最大の違いとなります。
また後部上構周囲に九六式25mm単装機銃を大量に装備しており、近接対空火力が強化されています。

「秋月」艦橋。
秋月艦橋
「秋月」の艦橋は艦首側に背負い式の砲塔配置を持つ為既存駆逐艦より若干背が高いものとなっています。
艦橋上には九四式高射装置を備え、前部マスト中段には他の艦隊型駆逐艦が装備していた22号対水上電探ではなく21号対空電探を装備(艦これでは何故か駆逐艦に装備出来ないのですが)。

「秋月」は昭和17年6月11日、護るべき空母機動部隊がミッドウェーで壊滅した直後に竣工しました。
そして「秋月」はソロモン海方面で行動中にB-17を一撃で撃墜するという実戦デビューを果たし、そののちしばらくの間はガダルカナル島を巡る戦いに参加。
昭和18年1月、米潜「ノーチラス」の雷撃により艦首を損傷、応急修理の後に内地を目指すもサイパンを出港した直後にキールが折れ、艦首部を切断除去の上再度内地を目指す事になります(この時切断された艦首はサイパン港内に放棄されており、未だ海底に眠っていると思われます)。

艦首部分を大破した「秋月」は早期修理の為、機関の製造遅れから建造が停滞していた同型艦「霜月」の艦首部分を移植するという大工事と機銃増備で竣工当時より対空火力を大幅に強化しての戦列復帰となりました。
昭和19年のマリアナ沖海戦では小沢機動部隊(第三艦隊)の護衛として参加、しかし守るべき第一航空戦隊は潜水艦の雷撃により「大鳳」「翔鶴」を失い、「瑞鶴」もまた被爆損傷して敗北。
そして「秋月」は残された最後の機動部隊による囮作戦に護衛艦として参加、エンガノ岬沖海戦において後方から接近した爆撃機が投下した爆弾が中部魚雷発射管を直撃、一瞬にして搭載していた魚雷が誘爆を起こし発射管の下部にあった機関室は全滅。
上部構造物は誘爆で大半が吹き飛ばされ、甲板に開いた大穴から高温の蒸気を吐き出しつつ惰性で航行するもすぐに停止、「秋月」は爆弾命中より数分後に被弾箇所から真っ二つに折れてその姿を海底へ消していきました。

以上、秋月型駆逐艦「秋月」でした。
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翔鶴型航空母艦「瑞鶴」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は真珠湾攻撃で初陣を飾り、ミッドウェー海戦を除く全ての空母戦に参戦した日本海軍の武勲艦、航空母艦「瑞鶴」です。
「瑞鶴」は翔鶴型航空母艦の2番艦としてマル三計画で建造された大型正規空母で、昭和16年9月25日に竣工、姉である「翔鶴」と共に第五航空戦隊を編成しました。
この竣工日時は本来の竣工予定日より3か月早く、一般的にはこの短縮によって真珠湾攻撃に間に合ったと言われるのですが、実際には真珠湾攻撃に間に合わせる為に工期短縮を図ったというのが妥当な所でしょう。
この模型は「瑞鶴」の最終状態、レイテ沖海戦エンガノ岬沖海戦の対潜・対空迷彩を施した状態を再現したものとなっています。

瑞鶴全体1瑞鶴全体2

右舷前方に艦橋を配置、その後方に下方屈曲式の煙突を装備したスタイルは日本空母の標準となっています。
全長257.5m、全幅29mの艦体を持ち、機関出力は16万馬力で最大速力34ノット、竣工時の搭載機定数は零戦18機、九九艦爆及び九七艦攻各27機を常用(合計72機)とし、補用機として零戦2、九九艦爆及び九七艦攻各5の合計12機で搭載機総数は84機でした。

「瑞鶴」を左舷正横から。
1/700と言えど30センチを超える大きさで一枚に収める事が出来ず、分割撮影した写真を無理矢理合成したものです。
瑞鶴左舷正横艦首

「瑞鶴」艦首。
瑞鶴艦首1
今までに掲載した改装空母と違い、赤城と同じく艦首飛行甲板部分の絞り幅が小さな事が解ります。

「瑞鶴」中央部。
瑞鶴中央部
舷側に高角砲や対空機銃が装備されています。

「瑞鶴」煙突。
瑞鶴煙突
下方に屈曲した煙突を主用したのは日本海軍のみで、これは高温の排気によって飛行甲板上の気流を乱す事を避けるために採用されたものです。
飛行作業実施時には煙突内部に海水を噴霧し、排気温度を下げる事が出来るようになっています。

「瑞鶴」艦尾。
瑞鶴艦尾
右舷にあるクレーンは艦載機の収容(入港中に岸壁などから直接収容する場合)に使用します。
写真では若干ぼやけていますが、左側中央付近の左舷に取り付けられた緑色と赤色のものは着艦指導灯と呼ばれるもので、着艦する機体から見て2色のライトがちょうど一直線になっていれば正しい進入角度で着艦アプローチに入っている事が解るようになっています。
このような装置を持たなかったアメリカ海軍は着艦誘導士官と呼ばれる士官の誘導に従い着艦するという方式を採っていました。
アメリカ海軍式では操縦者の技量よりも誘導士官の技量が重要であり、同時に誘導士官の意図を見誤ると事故に繋がる可能性が高くなってしまいます。
しかし日本海軍の着艦指導灯方式は搭乗員の技量がある程度あればよく、現代のアメリカ空母が採用しているミラー・ランディングシステムの先駆けとも呼べる先進的な装置であったと言えます。

「瑞鶴」艦橋。
瑞鶴艦橋1瑞鶴艦橋2
「瑞鶴」の艦橋は飛行甲板の右舷前方にあり、日本海軍の空母としては標準的な配置となっています。
しかし実際には起工時点では「赤城」と同じく左舷中央部への設置が予定されていましたが、「赤城」の再就役とそれに伴う艦橋配置の不具合発覚によって急遽右舷前方への配置へ変更されました。
このため艦橋位置が飛行甲板に若干はみ出す形となってしまい、飛行甲板の有効面積を僅かに損なうと共に発艦作業時におけるクリアランス(発艦機の右主翼先端と艦橋)も悪化してしまっています。

「瑞鶴」遮風柵。
瑞鶴遮風柵
艦橋横で飛行甲板に立ち上がっているのは遮風柵と呼ばれるもので、気流を整えて柵の後方に無風(或いは弱風)地帯を作りだす事が出来るようになっています。

「瑞鶴」増備兵装。
瑞鶴艦首右舷兵装瑞鶴艦首機銃瑞鶴艦尾左舷兵装
「瑞鶴」は海戦を行うたびに戦訓による対空兵装の増備が実施されました。
レイテ沖海戦では右舷艦首と左舷艦尾に12cm28連装噴進砲を装備、さらに艦首方向からの急降下/緩降下爆撃に備えて飛行甲板先端下部に25mm三連装機銃を3基配置しています。

「瑞鶴」は真珠湾攻撃を皮切りに各種作戦に参加、昭和17年5月の珊瑚海海戦では史上初の空母機動部隊同士による戦闘を行いました。
珊瑚海海戦、第二次ソロモン海海戦、南太平洋海戦とまるで「瑞鶴」の身代わりであるかのごとく「翔鶴」が常に被弾、無傷の「瑞鶴」でしたがマリアナ沖海戦で「翔鶴」が潜水艦の雷撃によって撃沈されてしまいます。
同海戦では遂に「瑞鶴」も被弾損傷、新編第一航空戦隊旗艦である「大鳳」をも失い大敗北を喫してしまいました。
そして「瑞鶴」は第一航空戦隊からほぼ無傷で残った第三航空戦隊へ編入、旗艦となり囮部隊としてレイテ沖海戦へと参加する事となります。

実際に海戦へ参加した最後の日本海軍機動部隊、第三航空戦隊の雄姿。
最後の第三航空戦隊1最後の第三航空戦隊2最後の第三航空戦隊3

先頭に「瑞鶴」、後方に「瑞鳳」、左に「千歳」、右に「千代田」。
最後の日本海軍機動部隊は捷一号作戦においてハルゼー率いる米機動部隊を北方に誘引する事に成功、囮作戦の成功を打電するもレイテ突入を担う栗田艦隊にこの電文が届く事はありませんでした。
「瑞鶴」はエンガノ岬沖海戦において魚雷7本、爆弾8~10発、多数の至近弾を受け沈没。
開戦劈頭に真珠湾を攻撃し空母の集中運用を切り開いた第一機動艦隊の生き残りである「瑞鶴」でしたが、最後は時代に逆行するかのような戦艦部隊の突入作戦を成功させる為の囮としてその生涯を閉じました。


次回は乙型駆逐艦「秋月」、もしくは仮想戦記用に改装された「大淀」いずれかの更新を予定しております。
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