白露型駆逐艦「春雨」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は白露型駆逐艦5番艦「春雨」です。
艦これでは1~4番艦、6番艦、10番艦の6隻は初期海域でもドロップしますが、「春雨」は通常海域最深部の「6-3」ボスマスのみのドロップという入手難易度が高い状況となっております(7番艦及び9番艦は現在イベントドロップのみ)。

「白露」型はロンドン条約下の排水量制限によって小型の艦体に過剰な兵装を搭載した事で復元性不足となってしまい、兵装軽減を含めた性能改善工事を余儀なくされた「初春」型の改良型として建造されました。
主砲は12.7cm砲5門、魚雷発射管は61cm4連装2基8門(次発装填装置付)、最大速力は34ノットと日本海軍の駆逐艦としては平凡な性能となっています。
模型は1941年開戦時の姿になります。

「春雨」全体。
春雨全体1春雨全体2春雨全体3春雨全体4
春雨全体5春雨全体6
特型以降の日本駆逐艦に共通する船体デザインを持ち、基本的な兵装配置は「吹雪」「霞」などと殆ど変わらない事が判ると思います。
大きな違いとして後部の2番主砲が単装砲とされた上で3番主砲と同じく上甲板装備となり、背中合わせに搭載されている事が挙げられます。


「春雨」艦首。
春雨艦首
艦首形状は「睦月」型以降の標準となったダブルカーブド・バウとなっています。
船首楼が1番煙突前まで延ばされ、後端部に艦橋が設置されているのは特型以降の共通デザインです。


「春雨」中央部。
春雨中央部春雨中央部左舷側春雨中央部右舷側
1番煙突>1番魚雷発射管>2番煙突(機銃台含)>2番魚雷発射管という並びは「初春」型以降の標準となったスタイルで、「霞」や陽炎型にも受け継がれています。
魚雷次発装填装置は各発射管の後方に設置されており、実質的な雷撃力は特型を上回るものとなっています。
2番煙突前の機銃台に装備された機銃は毘(ヴィッカース)式40mm連装機銃で、口径は充分ながら様々な問題を抱えておりあまり実用的とは言えないものでした。


「春雨」艦尾。
春雨艦尾
2番主砲と3番主砲が背中合わせに装備されているのが「初春」型と「白露」型の大きな特徴となっています。
艦尾には九四式爆雷投射機2基と爆雷投下軌条が装備されており、平時の爆雷搭載定数は18発、戦時搭載定数は36発とされました。
対潜戦闘能力に問題があると言われる事が多い日本駆逐艦ですが、少なくとも対潜兵装そのものは相応に装備されています。
問題となったのは探知装置の方で、こちらの性能が不十分かつ運用方法が完全に確立されていない事が後の潜水艦による大損害に繋がったと言えるでしょう。


「春雨」艦橋。
春雨艦橋
艦橋は今までに紹介した日本海軍駆逐艦と違い、角張った形状となっています。
これは6番艦「五月雨」までの特徴で、後期建造艦である「海風」以降の艦は丸みを帯びた形状に戻りました。

「春雨」は同型艦「村雨」「夕立」「五月雨」と共に第二艦隊第四水雷戦隊所属の第2駆逐隊を編成、開戦初頭より南方攻略作戦に従事する事となります。
そしてフィリピンのビガン攻略作戦、リンガエン湾上陸作戦、タラカン上陸作戦、バリックパパン攻略作戦に参加、さらにスラバヤ沖海戦に参加して米魚雷艇を迎撃し「春雨」はそのうち1隻を撃沈する戦果を挙げました。
1942年8月にはトラックへ進出、ガダルカナル島を巡って発生した第三次ソロモン海戦に参加、さらに東部ニューギニアへの輸送作戦に参加と東奔西走する事となります。
そして年が明けた1943年1月、「春雨」は米潜の雷撃を受け艦首部を大破、「天津風」や「浦風」に曳航されてトラックへ向かいますが途中で艦首部を切断を余儀なくされました。
その後入港したトラックにて工作艦「明石」による応急修理による仮艦首を装備して内地へ帰投、艦首及び艦橋を新造するという大修理によって艦橋は最新鋭駆逐艦である「夕雲」型とほぼ同じ形状のものとなって戦列に復帰。
1944年5月、「春雨」はビアクへの輸送作戦である「渾」作戦へ参加、B-25爆撃機及びP-38戦闘機による爆撃を受け撃沈されました。

次回は「龍鳳」「大淀(ネットSS用魔改造ver)」「61式戦車(ガンダム)+α」の何れかを予定しております。
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特型駆逐艦「吹雪」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は駆逐艦史上において極めて大きなエポックメーキングとなった特型駆逐艦1番艦艦これの地味な主人公こと「吹雪」です。
特型駆逐艦はワシントン軍縮条約の締結により主力艦である戦艦や空母、大型の補助艦である巡洋艦等の制約を受けた日本海軍が計画した大型駆逐艦です。
大型の一等駆逐艦と中型の二等駆逐艦を並行整備していた日本海軍でしたが、軍縮条約の締結に伴い駆逐艦の建造を大型の一等駆逐艦のみとする方向へ方針を転換、その第一弾として峯風型最終系列である「睦月」型を計画・建造しました。
そして「睦月」型と同時に計画されたのが今回紹介する特型駆逐艦で、今回のキットはヤマシタホビー初のフルキットとして発売された「吹雪」を使用しています。

まずは全体から。
吹雪全体1吹雪全体2吹雪全体4吹雪全体3
船体については「睦月」型からの大きな違いとして船首楼が延長され、艦橋が船首楼後端に設置されている事が挙げられます。
この為「睦月」型に比べ全体としてのシルエットが高くなっています。

「吹雪」艦首。
吹雪艦首
「吹雪」の主砲は「睦月」型までの45口径三年式12cm砲から50口径三年式12.7cm連装砲に変更されました。
特Ⅰ型に装備された砲塔はA型と呼ばれるもので、軽量化の為に左右の砲身が同一の砲架に固定されており個別俯仰が出来ないタイプです。
砲室を囲む外板の厚さは3.2mmで装甲防御能力はなく、砲員を波浪から守る為のものとなっています。


「吹雪」中央部その1。
吹雪中央部1
1番煙突と2番煙突の間に1番61cm三連装魚雷発射管を装備。
この魚雷発射管は「睦月」のキットでは再現されていなかった中央発射管の位置が左右より高くなっている部分もきちんと再現されています。
対空兵装としては2番煙突の前には機銃台が設置され、九三式13mm連装機銃を2基装備しています。


「吹雪」中央部その2。
吹雪中央部2
2番煙突と後部上構の間に2、3番発射管、後部上構の上に2番砲塔を装備しています。
左舷2か所に見える木材は応急処置に使用する為のもの。


「吹雪」艦尾。
吹雪艦尾1吹雪艦尾2
2、3番主砲は後部に背負い式に配置されており、これは全体の重量配分もよくバランスのとれた配置となりました。
アメリカ海軍では「アレン・M・サムナー」級と「ギアリング」級で日本海軍と同じく連装砲3基を装備しましたが、この両級は艦首に連装砲2基を背負い式に装備した為に重量バランスが悪く、戦後に計画された「フォレスト・シャーマン」級では54口径5インチ単装速射砲を日本海軍と同じく艦首に1基、艦尾に背負い式で2基装備するように改められています。
もしかしたら「フォレスト・シャーマン」級の設計には日本海軍の駆逐艦が参考にされたのかもしれません。
さらに対潜兵装として九四式爆雷投射機を1基装備しており、爆雷搭載数は平時定数18発。


「吹雪」艦橋。
吹雪艦橋
全周をクローズした構造となっており、荒天下でも操艦に影響が出ないようになっています(「睦月」型は就役時天蓋がキャンバス張り)。
艦橋右舷の緑色の塗装は航海灯で、左舷側は赤色になっています。
航海灯は夜間航行時に方向を示すもので、艦首と艦尾には白灯を装備し色の見え方で進行方向を確認する事が出来ます。
各航海灯の視認範囲は、
前部灯>船体中心線から左右にそれぞれ112.5度
右舷灯>船体中心線から右に112.5度
左舷灯>船体中心線から左に112.5度
後部灯>船体中心線から船尾方向にそれぞれ67.5度
となっています。
これにより「白・緑・白」で灯火が見えていればその船は向かって右に進んでいる事になり、「緑・白・赤」で灯火が見えていればこちらに向かってきている事が解ります。
この航海灯は国際ルールに定められているもので、現代でもそのまま使用されています。


「吹雪」吸気口。
吹雪中央部3吹雪中央部4
1番煙突の後部左右と2番煙突の後ろ側にある金網のついたキセル状の構造物は缶室への吸気口です。
この構造は特Ⅰ型のみに採用された型式で、特Ⅱ型以降は煙突基部にお椀を逆さまにした形状へ変更(参考:特Ⅱ型「漣」)されています。

「特型」駆逐艦はカタログスペックだけを見た場合、「睦月」型の12cm単装砲4基>12.7cm連装砲3基、61cm三連装発射管2基>同3基と一気に1.5倍もの火力・雷撃力を得た事が一番の違いとなります。
しかし「特型」駆逐艦の本領は強化された兵装ではなく、当時の軽巡洋艦に匹敵する(一部上回る)外洋行動能力です。
当時の駆逐艦は荒れる外洋ではカタログ上の戦闘能力を発揮する事が出来ず数量=戦力とは言い難い状況で、日本海軍は他国の駆逐艦が戦闘出来ないような状況でも戦力として計上出来る外洋行動能力の高い駆逐艦を求めた末に生まれたのが特型駆逐艦でした。
特に主砲を砲室に収めた事は荒れる海でも砲員が安全に主砲の操作を出来る事を意味し、カタログスペック以上の有効性を特型に与える事に成功、加えて連装砲の採用により全体重量の軽減が可能となり、これが連装3基という砲数の実現に繋がりました(当初計画では12cm連装2基とされていました)。
しかしながら排水量を抑える為の軽量構造が災いし第四艦隊事件で強度不足を露呈したものの、太平洋戦争開戦までには諸問題を全て解決。
日本海軍駆逐艦戦力の一翼を担う有力艦として23隻の同型艦と共に苛烈な戦場へ投入され、特Ⅱ型の「潮」、特Ⅲ型の「響」を除く21隻全てが戦没しました(3番艦「深雪」は戦前衝突事故により沈没)。
「吹雪」もまたガダルカナル攻防戦の最中にサボ島沖海戦において米艦隊と交戦、混乱した状況下で敵味方識別の為に不明艦へ接近した相手が米重巡「サンフランシスコ」だった為に同艦から探照灯照射を受け米艦隊の砲撃が集中、弾薬庫爆発により撃沈されました。
艦長以下220名が戦死、生存者はガダルカナル島へ漂着した8名のみでした。

阿賀野型軽巡洋艦「阿賀野」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は阿賀野型軽巡洋艦だらし姉こと「阿賀野」です。
模型は竣工時を再現したもので、対空兵装の増備が行われる前のすっきりとした姿となっています。

「阿賀野」型軽巡洋艦は軍縮条約の締結によって建造がストップしていた本来の「軽巡洋艦」です。
条約下において名目上「二等(軽)巡洋艦」として建造された「最上」型や「利根」型は目的が明確に異なりますので本来の軽巡洋艦の系譜とは別物となります。
大正時代に日本最初の近代的軽巡洋艦として建造された「天龍」型2隻、3クラス14隻もの量産が行われた5500トン型、試験艦として建造された「夕張」と大正末期~昭和初期にかけて日本海軍は質量共に充分な軽巡戦力を保有していました。
しかし1930年代に入るとこれらの軽巡洋艦も次第に老朽化し始め、性能面でも速度低下等により新型駆逐艦を主体とした水雷戦隊の旗艦としては性能不足が目立ち始めます。
そんな中で軍縮条約の更新を拒否した日本海軍は水雷戦隊旗艦としての軽巡洋艦を計画し、これが「阿賀野」型として完成する事となります。

「阿賀野」全体。
阿賀野全体1阿賀野全体2阿賀野全体3
連装主砲を艦首側に2基、艦尾側に1基を搭載し煙突後方から後部マストの間が航空関係設備となっています。
個人的には日本海軍が建造した艦艇の中でも際立ってスマートかつ流麗な艦容を持っていると思います。

「阿賀野」艦首。
阿賀野艦首1
日本海軍の巡洋艦に共通する細長い船体である事が一目瞭然です。
ウォーターラインの為に艦首水面下の形状は判りませんが、実艦は艦首下部が若干膨らんだ小型のバルバス・バウを採用していました。
主砲は41年式50口径15.2cm連装砲、元は「金剛」型などが装備していた副砲と同じ砲を連装砲架に載せたものです。
元々この砲は砲弾重量が重くて日本人の体格に合わないとされ、50口径14cm砲の開発・採用によって置き換えられた経緯がありました。
一応電力と油圧を利用した半自動揚弾&装填機構を採用して砲員の負担を軽減してはいますが旧式砲である事に変りはなく、威力は兎も角として新鋭軽巡に搭載する砲としては聊か疑問が残るものであった事は間違いありません。
本来ならば大和型戦艦の副砲であった3年式60口径15.5cm三連装砲を採用したかったようですが、排水量の関係で搭載する事が出来ず急遽この砲を採用したようです。

「阿賀野」中央部。
阿賀野中央部
艦橋から煙突、航空作業甲板まで。
艦橋下部の舷側に装備しているのは98式8cm(実口径7.62cm、3インチ)連装高角砲、艦橋前には96式25mm三連装機銃で、竣工時の対空兵装はこれしかありませんでした。

「阿賀野」艦尾。
阿賀野艦尾1阿賀野艦尾2
対空火力の増強前なので艦尾も極めてシンプルなものとなっています。
3番主砲の後ろにあるのは装填演習装置で、高角砲弾等の装填訓練を行う為のものです。
後部マストは水上偵察機揚収用のクレーンと一緒に装備されています。
対潜兵装である爆雷は搭載していますが爆雷投射機は装備されておらず、固定式の爆雷投下台からの投下用となっています。

「阿賀野」艦橋。
阿賀野艦橋
「最上」型や「利根」型の艦橋を縮小したような艦橋構造となっており、竣工時の為電探や機銃の増備がなされておらずシンプルかつスマートな姿です。
艦橋トップにあるアンテナは方位測定用のループアンテナです。

「阿賀野」航空艤装&雷装。
阿賀野航空艤装1阿賀野航空艤装2阿賀野航空艤装3
水雷戦隊旗艦としての偵察任務を果たすため「阿賀野」型は水上偵察機2機を搭載、射出機1基を装備しています。
5500トン型は一部の艦が射出機を装備し水上偵察機を搭載していましたが、基本的には射出機の上に載せておくだけで整備作業を行う航空作業甲板がありませんでした。
「阿賀野」型はこの点が大きく改善され、2機を一緒に駐機出来るだけのスペースを持つ航空作業甲板が設置されています。
水上偵察機用の予備部品はこの航空作業甲板と隣接する煙突の周囲に収容スペースが設けられており、写真でも予備の主翼やフロートがあちこちに分散収容されているのが判ると思います。
「阿賀野」型の特色である極めて強力な魚雷兵装もこの周囲に配置されており、射出機の下には2番発射管(92式4連装発射管、61cm酸素魚雷用)が見えます。
1番発射管は航空作業甲板の下に装備されていて、1番発射管と2番発射管の間には両発射管への次発装填装置が設置されています(航空作業甲板の下は殆ど見えませんが……)。
6000トンを超えるような艦で魚雷発射管を中心線上の配置した例は極めて珍しく、恐らく世界的に見ても「阿賀野」型だけではないでしょうか。
これは当時整備されつつあった甲型駆逐艦(陽炎型、夕雲型)と同様の雷装となっています。

このように「阿賀野」は水雷戦隊旗艦として求められる性能をほぼ満たして1942年10月末に完成しました。
しかしながら完成した時には水雷戦隊が敵艦隊に対し大規模な魚雷攻撃を行うような戦闘はほぼ起こりえず、対空兵装の貧弱な「阿賀野」型は既に時代遅れの艦となってしまったのです。
「阿賀野」型はあまりにも魚雷戦に特化した艦であり、戦闘の変化に対応しきれませんでした。
「阿賀野」は昭和19年2月16日に米潜水艦「スケート」の雷撃を受け右舷に2本が命中、必死の救難作業を行うも翌17日に力尽き、その姿を洋上から消しました。

「阿賀野」型軽巡1番艦「阿賀野」でした。

次回は「吹雪」「大淀(ネットSS用魔改造)」「地球連邦軍61式戦車+α」の何れかで更新の予定。

高雄型重巡洋艦「鳥海」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は長船建造の凶悪眼鏡3人衆の一人高雄型重巡洋艦4番艦「鳥海」です。
大分前の「愛宕」「摩耶」の同型艦ですが、1942年時の姿で「愛宕」が実施した近代化大改装や「摩耶」のような損傷復旧を利用したた空兵装強化工事を受けておらず、竣工時の姿にかなり近い状態となっています。
……妙高型以降の重巡洋艦では開戦時「摩耶」と共に最も戦闘価値が低下した状態となっていました。

そんな「鳥海」、全体から。
鳥海全体1鳥海全体2鳥海全体3
近代化改装を実施した「愛宕」と比べ顕著な違いとしては
1、艦橋構造が小型化されていない(愛宕は艦橋構造の小型化を実施)
2、後部マストの位置が変更されていない(愛宕は後部マストを4番砲塔前に移設、通信能力を強化)。
3、飛行作業甲板が上甲板となっており、後部マストの下に格納庫を持つ(愛宕は甲板室を設けその上を飛行作業甲板として格納庫を廃止)。
4、高角砲が10年式12cm単装高角砲4基4門(愛宕は89式12.7cm連装高角砲4基8門)。
5、模型では判らないが魚雷発射管が連装4基8門で「愛宕」の半分(愛宕は4連装発射管4基)。
といった点が挙げられます。

「鳥海」艦首。
鳥海艦首
日本海軍の重巡洋艦に共通する細めでスマートな形状をしています。
これは速力を重視(計画35ノット)していた為でL/B(長さ/幅)比は10:1に近く、これは他国では駆逐艦レベルの数値となっています。

「鳥海」中央部。
鳥海中央部1鳥海中央部2
中央部は両舷に10年式12cm単装高角砲2基、上甲板に61cm連装魚雷発射管を2基、煙突周囲の機銃台に25mm連装機銃を装備。
2番煙突後方の構造物は搭載機の格納庫となっています(後述)。

「鳥海」艦尾。
鳥海艦尾
1942年の時点では機銃増備がまだ行われておらず、艦尾近くの甲板はすっきりとした状態のままとなっています。


ここからは各部アップ画像で。

「鳥海」艦首主砲群。
鳥海後部主砲鳥海主砲2
日本海軍の「妙高」型及び「高雄」型で採用された独特の主砲配置(ピラミッド型と呼ばれる事もあります)が良く判ります。
後年アメリカの1万トン級軽巡洋艦である「ブルックリン」級が同様の配置を採用しており、「妙高」型や「高雄」型の影響があったのかもしれません。
主砲は「妙高」型以前の艦が200mm砲のライフリングを削って203mmに拡大しており、「高雄」型は日本海軍の重巡洋艦として新造時から正8インチ(203mm)砲を採用した最初の艦型となりました。

「鳥海」艦橋部。
鳥海艦橋
横から見た場合、城郭にも準えられるように極めて大きな構造となっています(「鈴谷」と比較すると判り易いと思います)。
上部に3段に並んだ窓は下から「羅針艦橋」「魚雷発射指揮所」「測的所」で、その上に主砲射撃所となっています。
なお艦橋下部の大半は1番煙突に繋がる煙路で、実に艦橋容積の1/3はこの煙路が占めています。

「鳥海」後部マスト周辺。
鳥海後部マスト
上甲板に設置された甲板室が後部マストの真下辺りで途切れているのが判ると思います。
完成時の「高雄」型は全てこのような形状で、「高雄」と「愛宕」は大改装によってこの甲板室が4番主砲まで延長されており、その甲板室の上が飛行作業甲板となっています。
後部マスト基部の構造物は水偵格納庫。

「鳥海」水偵格納庫。
鳥海格納庫1鳥海格納庫2
大改装後の「高雄」「愛宕」には存在しない水偵格納庫です。
カタパルトの設置位置が高く、船体中央に設けられた軌条からクレーンでカタパルトに載せる必要があることから運用効率は決して良くありません。
大改装後の「高雄」「愛宕」は台車に載せた水偵をカタパルトの後ろからそのまま発進位置に移動させる事が可能となっています。

「鳥海」後部主砲。
鳥海後部主砲
水偵関連設備と主砲の位置が極めて近く、水偵は格納庫に入れて扉を閉じていない限り主砲発砲時の爆風によって破損してしまいます。
就役当初の「高雄」型はこの問題もあって格納庫を設置していましたが、艦内容積の確保や水偵発進時の取り扱い改善などもあって格納庫を廃止しており、このため砲戦前には水偵を発進させる必要が生じています。

「鳥海」を語る上で欠かせないのは昭和17年8月8日の第一次ソロモン海海戦でしょう。
寄せ集めで編成された第8艦隊旗艦としてガダルカナル沖の米輸送船団攻撃を目標として出撃した「鳥海」はスクリューの回転整合(スクリューの回転数を航行しながら調整して艦隊単位での速力を合わせる為の処置)すら行う余裕のない緊急出撃でした。
艦隊を編成するのは旗艦「鳥海」以下「古鷹」「加古」「青葉」「衣笠」「夕張」「天龍」「夕凪」の8隻で、出所不明の話しながら艦隊内では「第”八”艦隊の”八”隻が”八”月”八”日に”八”回目の海戦を行う」と末広がりの八の字が続く事に慶事を感じたとも言われています。
そして「鳥海」を先頭に単縦陣でガダルカナル海域へ突入した第八艦隊は米海軍をして「史上最悪の敗北(アメリカ海軍は真珠湾攻撃は宣戦布告前の為敗北にカウントしていません)」と言わしめる大戦果を挙げたものの、当初より「戦闘は1航過のみ」とされていた事もあって敵輸送船団をそのままに撤退、画竜点睛を欠く事となります。
この戦闘において「鳥海」は1番主砲に被弾し発砲不能となり、その他数発の敵弾を浴びて小破、帰路潜水艦の雷撃で「加古」を失うも艦隊はそれ以上の損害を出すことなく無事帰投しました。
また、この海戦では報道班員が各艦に分乗しており、「鳥海」には作家の丹羽文雄氏が乗艦、後にこの第一次ソロモン海戦を描いた小説「海戦」を発表しています。

「摩耶」と異なり損傷復旧を利用した改装を受けるチャンスもないまま「鳥海」は戦い続け、昭和19年のレイテ沖海戦を迎えます。
同海戦の終盤、サマール沖の米艦隊に対する追撃戦において「鳥海」は多数の被弾の後に撃沈されました。
……しかしこの「鳥海」の最後は同志討ちによる可能性が極めて高いと言われています。
このサマール沖追撃戦において「鳥海」は艦隊司令部の指示よりかなり敵側に突出しており、後方の戦艦部隊が把握している状況では「味方がいない筈の場所にいる巡洋艦=敵艦」と判断したらしく、残された記録から見る限り「金剛」が「鳥海」を砲撃していたようです。
この時「鳥海」は28ノットという高速で回避運動中だったものの、砲撃を浴び始めて数分で不関旗(艦隊行動から離脱を宣言する旗)を掲げ航行不能となり脱落、後に沈没となっています。
駆逐艦や護衛駆逐艦の5インチ砲弾では魚雷発射管に命中したとしても完全な誘爆は起こりえず(日本海軍の実験では8インチ砲弾の直撃で完爆)、受けた損害の程度から見ても「鳥海」は誤射によって撃沈されたと考えられ、武勲艦の最後としてはあまりにも悲惨な状況だったと言えるでしょう。

次回は特型駆逐艦1番艦「影が薄い主人公こと吹雪」、阿賀野型軽巡洋艦1番艦「だらし姉阿賀野」、ネットでの仮想戦記用に魔改造された「大淀」、ガンダムの「61式戦車」のいずれかになる予定です。
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