日本海軍戦艦「大和」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

……大和です。
日本海軍が条約の制限も何もなくなって建造設備の限界を制約として計画した、水上戦闘艦としては恐らく今後も世界最大のタイトルホルダーを維持し続けるであろう最大最強の戦艦です。
建造経緯等はよく知られているので、あまり言及される事のない部分をピックアップして写真と共に紹介させて頂きます。
なおこの「大和」は菊水作戦時、つまり最終状態を再現したものとなっております。


まずは全体図。
大和全体1大和全体2
大和全体3大和全体4
大和全体5

日本海軍造艦技術の集大成であり、「戦艦」という艦種の極限に達した姿です。
全体としては若干太めの艦型で、L/B比は速度性能を発揮するには若干不利となる6.74(高速艦は7以上が望ましい)。
とはいえ無様な太さではなく極めてバランスのとれた姿であり、スポーツ選手に例えるならば相撲取りと言ったところでしょうか。
45口径46cm三連装主砲を前部に2基、後部に1基搭載、艦橋は中央やや前部よりに配されています。
この前部に2基、後部に1基という主砲配置は各国新戦艦では最も採用例が多く、大和の他に英キングジョージ五世級、伊リットリオ級、米ノースカロライナ級、サウスダコタ級、アイオワ級が採用しています。


大和艦首。
大和艦首
艦首部分は極めて優美なカーブで構成されています。
艦首錨鎖甲板と主砲前の木甲板の境目にある四角いものは号令台。
艦首の左右に取り付けられた主錨の重さは15トンもあります。
「錨泊」という言葉がある通り、岸壁への接岸をせずに停泊する場合にはこの錨を落とすわけですが、言葉のイメージと違い錨による固定能力は実は殆どありません。
実際には海底に垂らした錨鎖による摩擦抵抗が艦を固定する力となっており、錨は波浪等で艦が動いた際に海底へ食い込む事で引きずられないようにする役目を持っており、この力を「把駐力(はちゅうりょく)」と呼びます。
この把駐力は錨鎖による摩擦とは別として扱われ、停泊中の艦船が台風などで流されない為に重要なものとなっており、錨による把駐力を上回る波浪を受けると「走錨(そうびょう)」と呼ばれる状態となり大きな事故の原因となります(洞爺丸台風など)。


大和中央部。
大和中央部大和中央部2
前檣楼基部から後部艦橋まで対空火器がずらりと並んでいます。
就役時点では片舷の高角砲が連装3基6門となっており、甲板には左右各1基の副砲を装備していました。
しかし苛烈な航空攻撃に対応する為に副砲を撤去、高角砲を片舷3基ずつ増備の上25mm三連装機銃を随時増設。
最終時には三連装機銃が50基程になっていました。
高角砲の周囲に見える「枠」は射界制限装置と呼ばれるもので、高角砲の砲身が上部構造物に向かないようにする為のものです。


大和後部艦橋周辺。
大和後部艦橋&煙突
メインマスト前側は第二艦隊司令官伊藤中将の中将旗、巨大な戦闘旗、そして「非理法権天」の旗が掲げられています。
聊かぼやけていますが後部艦橋の後ろには三年式15.5cm三連装副砲を装備。
この副砲、いまだに「直撃弾を受けたら砲爆弾が弾火薬庫へ到達して誘爆轟沈する」と言われる事があり、これをもって大和の防御上一大弱点である、とする人もいます。
しかしながら副砲内部構造は防炎シャッターを始め誘爆を防ぐための装置があり、かつ複数の階層となっている砲塔の構造上真上から撃角75度以上での命中弾でもない限りまず弾火薬庫までストレートに砲爆弾が浸入する事はありえません。
それも床に開いた揚弾筒(かなり細い)を潜り抜けるという奇跡が起きる前提であり、一般的に発生し得る命中弾で起こる事はないでしょう。
実際、大和の副砲とほぼ同じ内部構造を持つ日本海軍の重巡洋艦用20.3cm砲では砲塔への急降下爆撃(重巡三隈、羽黒)、あるいは砲塔直撃からの装薬誘爆(青葉)といった損害を受けつつも弾火薬庫の引火誘爆には至っていません。
大和が沈没する前、副砲火災から第三主砲の火薬庫温度が上昇していたと言われていますが、これは砲塔への被弾によるものというよりはダメコンの失敗による(それはそれで問題ではあるのですが)ものとすべき事例です。


大和艦尾。
大和艦尾1大和艦尾2
手前側がぼやけていますが射出機上には零式水上偵察機、艦尾には搭載機を収容する為のジブクレーンが設けられています。
ジブクレーン基部から四角錐状の構造物(アンテナ支柱)がありますが、菊水作戦時にはこのアンテナ支柱は取りはすざれていたことが写真解析から判明しました。


前部主砲。
大和前部主砲
世界最大最強の45口径46cm砲です。
……とはいえこの主砲、威力や射程に優れるもののその口径以外は極めて平凡かつ突出した部分がありません。
大和の主砲が戦艦史上最強であるのは46cmという口径がそれを保証しているからで、砲そのものの性能は46cm砲としては極めてフラットなものとなっています。
一般的に「敵艦より大口径砲をもってアウトレンジをする為」のものとされる事が多いのですが、日本海軍が想定した戦闘方法に「アウトレンジ砲撃によって勝利を掴む」というものはなかったりします。
日本海軍の砲戦術は「戦史叢書・海軍軍戦備1」によれば、
1、3万m以上の距離で敵艦隊に先立ち砲撃を開始、砲撃しつつ接近(ここが所謂「アウトレンジ」、ただし砲撃しつつ接近することが明記されている)
2、3万mを切って敵艦隊が砲撃を開始したら「急速接近」
3、2万m近辺(91式徹甲弾の水中弾発生確率が最も高くなる距離)で敵艦隊を撃滅
というものであり、決してアウトレンジに頼るものではありませんでした。
あくまでも有効射程の差を最大限に活かす為の方法であり、その距離を維持して一方的に敵艦隊を叩く事は目的とされていませんでした。


大和艦橋。
大和艦橋1
大和艦橋2
「長門」型戦艦までが近代化改装による積み上げ式の艦橋だったのに対し、その必要がなかった大和は艦橋形状がシンプルかつ艦本体の大きさに比べかなりコンパクトなものとなっています。
副砲の真後ろに装甲化された司令塔を持ち、その2層上(模型ではちょうど反対側が見える部分)に羅針兼夜戦艦橋、さらにその3層上が昼戦艦橋となっています。
昼戦艦橋の上が防空指揮所で、その後部に15m測距儀を備えた砲戦指揮所が設置されています。

以上、日本海軍最大最強にして世界最大最強でもある戦艦「大和」でした。
次回は日本海軍の航空母艦「龍驤」もしくはイタリア海軍の戦艦「ローマ」のどちらかで更新予定。
希望艦がありましたら一言頂けますと幸いです。
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給糧艦「伊良湖」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は給糧艦「伊良湖」です。
キットはピットロードのもので、「間宮」がある程度売れた事と艦これにおいて「伊良湖」が実装された事から開発が決定したものと思われます。
……本気で5年前では考えられないレベルで補助艦やリニューアル艦の充実度が洒落にならないレベルに達しつつあります>艦艇模型世界

「伊良湖」は昭和13年度のマル3計画追加分の予算で建造された給糧艦で、「間宮」に続く海軍の正規給糧艦としては2隻目となります。
前艦である「間宮」は大正13年に竣工しましたが、その酷使ぶりは海軍が危惧を抱くほどで「伊良湖」の予算請求時にはいかに「間宮」が酷使されているかを訴えるものとなっていた程でした飲食業界は当時から超絶ブラックだったのですね
何しろ「間宮」は定期点検のドック入り期間を除くとほぼ休みなく動き回っている状態が普通で、本来の給糧艦としての任務に加え無線監査艦としての役割も果たしていたのですからある意味当然の状況ではありました。
これらの状況から海軍は必死になって予算を通す事に尽力、「伊良湖」の建造予算を通す事に成功したのです。
「伊良湖」の能力は25000人分3週間分の糧食を搭載可能とされ、「間宮」と同じく菓子類や清涼飲料を始めとした嗜好品の生産設備も充実したものとなっており、加えて「間宮」と同じく無線監査艦としての役割を果たす事が求められ、その為の無線機を30機積んでいますやっぱり超絶ブラック確定なんですね
そして「伊良湖」は文字通り戦争が始まる寸前、1941年12月5日に竣工しました。


「伊良湖」全体。
給糧艦伊良湖全体1給糧艦伊良湖全体2
給糧艦伊良湖全体3給糧艦伊良湖全体4
「間宮」に比べ建造時期に20年近い差がある為、船体形状がより近代的なものとなりました。。


「伊良湖」艦首。
給糧艦伊良湖艦首1
給糧艦伊良湖艦首2給糧艦伊良湖艦首高角砲座
艦首には10年式12cm連装高角砲を装備しており、艦首楼と中央構造物の間に物資搭載用のデリックやジブクレーンが配置されています。


「伊良湖」中央部。
給糧艦伊良湖艦中央部1
給糧艦伊良湖艦中央部2
「間宮」に比べ太くなった煙突が目を引きます。
ブリッジも「間宮」に比べ洗練された形状となっており、上構後部に25mm連装機銃を片舷各1基装備しています。


「伊良湖」艦尾。
給糧艦伊良湖艦尾
後部構造物の上に艦首と同じく10年式12cm連装高角砲を装備。
デリックは前部が1基だったのに対し門型ポストの基部に各1基、ジブクレーンは4基で同じです。


「伊良湖」と「間宮」艦型比較。
伊良湖&間宮比較1伊良湖&間宮比較2
伊良湖&間宮比較3
伊良湖&間宮比較4伊良湖&間宮比較5

大正期に建造された「間宮」と昭和期に建造された「伊良湖」では基本的なアウトラインそのものはあまり変わらないのですが、艦首や艦尾の形状、艦橋の構造が大きく変化しています。

「伊良湖」は完成後に主として南方トラック諸島方面への糧食輸送任務に就き、1944年には米潜水艦「シードラゴン」による雷撃を受け損傷、重巡洋艦「鳥海」、駆逐艦「潮」の救援を受け沈没を免れました。
内地での修理後、米機動部隊の空襲により実質的に無力化されたしまったトラック方面への輸送任務を解かれ、1944年7月に南西方面艦隊へ配属されて8月にフィリピンのマニラへ向うも9月21日のマニラ空襲に遭遇、コロン湾へ退避する事となります。
コロン湾へ移動した9月24日、「伊良湖」は同行していた飛行艇母艦「秋津洲」と共にアメリカ機動部隊の空襲を受け大破炎上の後着底してしまいました。
10月1日の調査報告では「中甲板以上ほとんど完全に焼失、外板及び甲板は波状に湾曲。下甲板以下は燃焼中にて立ち入り不能。缶、主機使用可能。左に傾斜5度、暫時増加の兆しあり。大修理を施さねば再使用不能」という状態となっており、「伊良湖」は復旧を断念し11月30日に除籍されました。
現在の「伊良湖」は近くに沈んでいる「秋津洲」と共にダイビングスポットとなっています。
プロフィール

大隅4001

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