戦艦「長門」1927年時(屈曲煙突)

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

本日2回目の更新。
日本海軍で最も国民に親しまれた長門型戦艦一番艦「長門」、1927年時の姿です。
大改装後の「長門」は1941年時の姿や1944年時の姿でキット化されていましたが、相変わらずの艦これ効果かアオシマより1927年時の姿かつ艦これモデルとして発売されました。
……公式でも「ヤング長門」と呼ばれていますw

まずは全体から。
長門1927全体1長門1927全体2
長門1927全体3長門1927全体4
長門1927全体5
高角砲や機銃といった対空兵装が増備される前の姿なので、全体として木甲板の比率が高くなっています。
上部構造物もシンプルなもので、大改装後のような城郭をイメージさせる重厚さはそれほど強くありません。
この時期の特徴として極めて長大な後部マストが挙げられます。
P9200487.jpg
こちらの1941年時の「長門」と比較すると1.5倍程はあるでしょうか?

長門1927艦首。
長門1927艦首長門1927艦首2
独特な艦首形状は「スプーン・バウ」と呼ばれるもので、機雷を数珠繋ぎにして敵艦隊の針路上にばら撒く事を目的とした秘密兵器である「一号連係機雷」のワイヤーを乗り切る為のものとなっています。
この一号連携機雷は通常の艦首形状ではワイヤーが艦首に引っ掛かると同時に機雷が引き寄せられて舷側にぶつかり爆発するようになっていました。
八八艦隊計画時に建造された巡洋艦以上の大型艦は殆どの艦がこの「スプーン・バウ」を採用しています。
もっとも一号連携機雷は実戦で使用される事もなく用途廃止になってしまい、凌波性に劣るスプーン・バウは大改装等の機会に応じてダブルカーブド・バウに改装されました(未改装の艦もあります)。

長門1927艦橋。
長門1927艦橋
長門1927艦橋2長門1927飛行機発進装置
長門の艦橋は中央に太めの柱を配置し、その周囲に6本の支柱を配して測距儀等の重量物を支える構造になっており、大改装前の姿なので6本の支柱が良く判ります。
航海艦橋の天蓋はまだキャンバス張りで、ブルワーク(側壁)もキャンバス張りの部分が殆どです(白い帯状のもの)。
2番主砲天蓋に装備されているのは射出機ではなく滑走台で、その上に載せられているのは14式水上偵察機。
……この当時の飛行機は合成風力込みと言う事を考えても僅か20m足らずの距離で発進出来たんですね。
なおこの滑走台は試験的に装備されたものらしく、この姿を写した写真は殆ど現存していないようです。

長門1927中央部。
長門1927右舷中央部1長門1927右舷中央部2
この時期最大の特徴である屈曲煙突が判ります。
当初は一番煙突も直立していたのですが、全速航行時に艦橋と煙突の間の気圧が低下、排煙が逆流するという現象が発生。
これを解決する為に当初は平賀譲造船官の発案で一番煙突の前側に排煙除けのフードを付けたのですが殆ど効果がありませんでした。
そこで藤本喜久雄造船官が煙突を後方に曲げる事で解決しようとしましたが平賀造船官がこれに「艦の威容を損なう」と猛反発、一旦はお流れになりましたが、平賀造船官は藤本造船官が出したこのアイディアを無断で借用・改装させてしまった為、後に二人の対立要因になったと言われています。
経緯はともあれこの屈曲煙突化は大成功を収め、いかにも早そうなスタイルと共に長く国民に親しまれる事となりました。
一番煙突の周囲には甲板上に40口径8cm(実口径7.62cm=3インチ)高角砲を装備、さらに副砲である50口径14cm単装砲が上甲板及び中甲板へ砲郭式に装備されています。
ただこの40口径8cm高角砲、妙に大きいんですがこれサイズ間違えてませんかアオシマさん……。

長門1927後部マスト。
長門1927後部マスト1
長門1927後部マスト2
上述した通り、大改装後に比べ極めて高いマストとなっています。
真横からの画像でも判るように同時期の「天龍」が装備している後部マストと比べてもかなり複雑な構造となっています。

長門1927主砲。
長門1927前部主砲長門1927後部主砲
世界初の16インチ級主砲となった三年式41cm連装砲を4基8門装備。
16インチ「級」と書いたのは長門型戦艦の主砲は正41cmの為で、日本海軍は後に軍縮条約に抵触している事を隠す為もあって主砲口径を40cmと表記するようになり、この為に近年まで長門型の主砲は正40cmと考えられていました。

長門1927艦尾。
長門1927艦尾スターンウォーク
日本の旧式戦艦群は大改装によって艦尾を延長していますが、延長前はこのように極めてシンプルな形状となっています。
艦尾部分にある空間は「スターン・ウォーク」と呼ばれるもので、司令官や艦長用に設けられた回廊状の設備です。
横須賀に現存する戦艦「三笠」の艦尾にも設けられていますが、長門のものは三笠のような艦の外側に設けられたものとは違い内装式と呼ばれるものとなっています。

以上、長門1927年時でした。
次回更新は未定、一応9月末には「ビスマルク」を予定しています。
それより前に何かネタに出来そうなものが入手出来たら更新すると思います。
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ROBOT魂版フルアーマーガンダムMkⅡ

本日は2回更新予定。
1回目はプレミアムバンダイ限定商品のROBOT魂「フルアーマーガンダムMkⅡ」です。

Z-MSVを初出とする機体ですが、これまで公式の立体化は10年以上前のGFFのみ、しかもそのGFFは設計ミスの為に脚部と腰部を繋ぐパイプの長さが足りないという欠陥品でした。
そんな立体化に恵まれなかったフルアーマーガンダムMkⅡがプレミアムバンダイ限定ながら発売。
ポージングなんかは苦手なので最低限ですが紹介をば。

まずは全体。
フルアーマーガンダムMkⅡ全体1フルアーマーガンダムMkⅡ全体2
フルアーマーガンダムMkⅡ全体3フルアーマーガンダムMkⅡ全体4
フルアーマーガンダムMkⅡ全体5
右腕に固定式の連装ビームライフル、バックパックにビームサーベル、頭部にはアーマーパーツに干渉しないように再設計されたバルカンポッド、左肩にフレキシブルシールド、両腕のアーマーパーツにはグレネードラック。
追加装甲はほぼ機体の前面に集中していて、後側は腰とバックパックの一部のみ。
1stガンダムのフルアーマータイプは片側への武装集中によるバランスの悪さがありましたが、フルアーマーガンダムMkⅡは左肩へのフレキシブルシールドの装備と肩部兵装を装備しない事でその辺りが改善されているのが判ります。

腕と足の可動範囲。
フルアーマーガンダムMkⅡ可動範囲
脚はほぼ90度まで、腕は180度近くまで曲がります。
脚部追加装甲から腰部追加装甲まで伸びるパイプは軟質素材を使う事で可動に追従するようになっています。
なおこの写真、右足一本で自立しています。

バストアップ。
フルアーマーガンダムMkⅡバストアップフルアーマーガンダムMkⅡ胴体
胴体の追加装甲によって頭が埋もれる形になってしまうので頭の可動範囲はあまりありません。
ノーマルのガンダムMKⅡ用のバルカンポッドは厚みがあるので追加装甲に干渉するため、フルアーマー時には取り付け不可能となっています。

簡易レビュー、ROBOT魂フルアーマーガンダムMkⅡでした。
……きちんと動かせるフルアーマーガンダムMkⅡは事実上初めて(GFFは見なかった事に)の立体化です。
ROBOT魂のプレミアムバンダイ限定品はお値段がネックですが、基本的に出来は全て上質なので気に入った機体がラインナップに入るとどうしても手が伸びてしまいますね……orz

商船改装空母「隼鷹」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は航空母艦「隼鷹」です。
「隼鷹」は昭和13年度に実施された海軍主導の船舶建造補助政策である「大型優秀船建造助成施設」に基づき日本郵船が計画・建造した客船「橿原丸」を改装、空母化した艦となります。
なお模型は1945年の最終時のものですが、飛行甲板は通常塗装で再現されていますが当時「隼鷹」の飛行甲板は迷彩されていたとも言われています。

隼鷹全体1。
航空母艦隼鷹全体1航空母艦隼鷹全体2
航空母艦隼鷹全体3航空母艦隼鷹全体4
当初計画では「千歳」「千代田」などの改装空母と同じく飛行甲板前端下部に艦橋を持つフラットトップ型の空母となる予定でした。
しかし建造途中で「大鳳」型航空母艦に採用予定であった傾斜煙突のテストを兼ね、本格的な島型艦橋(アイランド)を設置する事となります。
結果、「隼鷹」は改装空母でありながら正規空母にも劣らぬ重厚な艦容を持って竣工しました。
艦橋の位置は右舷前方、日本空母として初採用された傾斜煙突は外側に向かって26度の角度で傾斜しており、排煙が発着艦作業に影響を与えないようになっています。


隼鷹全体2。
航空母艦隼鷹全体6航空母艦隼鷹全体7
航空母艦隼鷹全体5
全長約220m、水線最大幅27m弱の艦体は「蒼龍」型航空母艦にほぼ匹敵するサイズです。


隼鷹艦首。
航空母艦隼鷹飛行甲板前部航空母艦隼鷹右舷前部対空火器
他の改装空母と比べると艦首飛行甲板の絞り幅が小さく、航空機運用能力の高さが見てとれます。
艦橋容積の半分近くは煙路で見た目ほど内部が広い訳ではないのですが、それでも「瑞鶴」や「赤城」などに比べると余裕があったようです。
兵装は「蒼龍」型などの中型正規空母と同等で八九式12.7cm連装高角砲を片舷3基の合計6基、25mm三連装機銃は年を追うごとに増強されており、他に飛行甲板に接地する移動式25mm単装機銃を多数搭載していました。
なおエッチングパーツは「五星模型」という中国メーカーのもので、真鍮製砲身を始めとした「隼鷹」専用のフルセット(お値段なんと15000円以上! 隼鷹本体2000円以下)を使用して製作して頂きました。
右側の写真に写っている高角砲の砲身を見て頂くと判るように、砲口が開口されるなどプラパーツでは難しい部分まできっちり再現されています(砲身直径は0.5ミリ以下)。

隼鷹中央部付近。
航空母艦隼鷹艦橋付近1航空母艦隼鷹艦橋付近2航空母艦隼鷹通信マスト
航空母艦隼鷹飛行甲板
マストには13号対空電探を装備、下の写真は撮影時の画像サイズを倍にしたものです。

隼鷹艦尾。
航空母艦隼鷹後部飛行甲板航空母艦隼鷹艦尾飛行甲板下
後部エレベーターの左舷側に昇降式の21号対空電探を装備。
右側の写真、かなり見づらいのですが飛行甲板下部のガーター構造(飛行甲板を支える基部)も全てエッチングパーツで再現されており、軽量化の為の軽め穴まできちんと開口されています。
左側の写真は普段の倍のサイズで撮影したものです。
飛行甲板の両側に4つの緑灯と2つの赤灯が前後に離れて設置されていますが、これは「着艦指導灯」と呼ばれるもので、着艦の為のアプローチに入った航空機から見てこの両者が左右一列に並んでいれば着艦進入角度が適正であると一目で判るようになっています。
この着艦指導灯のおかげで日本海軍はパイロットの技量が一定以上あれば比較的安全な着艦が可能となっており、着艦指導士官(ランディング・オフィサー)と呼ばれる指導員の指示に従って着艦する英米の空母に比べより優れた方式でした。

隼鷹右舷後方より。
航空母艦隼鷹斜め後方
若干ぼやけてしまっていますが、傾斜煙突や上述の着艦指導灯などが明瞭に判ると思います。


「隼鷹」の元となった「橿原丸」は「大型優秀船建造助成施設」は前年度に実施された「優秀船舶建造助成施設」を元に計画されたもので、この両者は海軍が戦時に徴用・改装を前提とする代わりにその建造費の一部を国が肩代わりする、という政策でした。
この政策の元、艦隊型タンカーへの転用を前提にした1万トン級油槽船や空母改装を前提とした新田丸型貨客船などが建造されました。
そしてこの施設の中で最大の規模を持ち、戦時改装による空母化を前提とした船が「橿原丸」と「出雲丸」でした。
1939年3月に三菱重工長崎造船所で起工された「橿原丸」は時局の悪化に伴い1941年2月に日本海軍によって買収、当初計画通り空母への改装が実施される事となります。
この時「橿原丸」を建造していた隣の船台では戦艦「武蔵」の建造が始まっており(1938年3月起工)、長崎市民は「巨大な戦艦の2隻目が建造されている」と噂したと伝えられています。
そして「橿原丸」は1942年5月3日に空母への改装が完了、最大速度は25.5ノットと空母としては低速かつ商船改装という事で防御力も低かったものの、常用搭載定数48機+予備機5機の合計53機という航空機運用能力を持つ「隼鷹」は第四航空戦隊に編入され「龍驤」と共にミッドウェー作戦の支作戦であるアリューシャン作戦へ投入されることとなりました。
アリューシャン作戦そのものは成功に終わったものの、メインのミッドウェー作戦は主力4空母を失う大敗北を喫してしまいます。
保有する中・大型正規空母の大半を失った日本海軍は機動部隊を再編、「隼鷹」は1942年7月に竣工した姉妹艦「飛鷹」を加え「隼鷹」「飛鷹」「龍驤」で新生第二航空戦隊を編成、商船改装空母でありながら日本機動部隊の主力として行動する事となりました。
第二次ソロモン海戦時には錬度不足と判定された「瑞鳳」の代わりに「龍驤」が参加、同海戦において「龍驤」は米空母「サラトガ」の艦載機によって撃沈されてしまいます。
「龍驤」を失い「隼鷹」「飛鷹」で編成された第二航空戦隊は南太平洋海戦に参加するも「飛鷹」が機関故障によって脱落、「隼鷹」は第一航空戦隊の「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」と共に米機動部隊と交戦、米空母「ホーネット」を撃沈に追い込み「エンタープライズ」を撃破しました。
この戦いにおいて「隼鷹」は第六次攻撃隊まで出すという奮戦ぶりを示しましたが、それは搭乗員の多数を失うことでなし得た最後の日本機動部隊における敵空母撃沈戦果でもありました。

アリューシャンから南太平洋海戦に至る「隼鷹」の戦いは当時同艦に乗艦していた艦爆搭乗員である小瀬本國男氏の著書「激闘艦爆隊」を読むのが一番手っ取り早いと思われます。
……この小瀬本氏、初陣が蒼龍艦爆隊の一員として参加した真珠湾で、ウェーキ島攻略作戦支援やインド洋作戦までを蒼龍で過ごし、ミッドウェー海戦前に竣工したばかりの「隼鷹」へ配属、南太平洋海戦までを同艦で戦った後に教官配置へ。
そしてマリアナ沖海戦時には再び「隼鷹」へ乗り組み同海戦に参加、1944年10月のレイテ沖海戦には「瑞鶴」へ乗艦して戦うというまさに「空母機動部隊と共に闘い抜いた」ベテランパイロットです。
しかし同氏の戦いはそれだけでは終わらず、レイテ沖で空母機動部隊が壊滅した後もフィリピン戦に参加、本土へ脱出後は最後の艦爆「流星」に搭乗してなんと8月15日の朝に特攻出撃するも機体故障で帰投、そこで終戦を知らされると言う文字通り最後の日まで出撃した艦爆乗りでした。
「隼鷹」のみならず艦爆の戦いを一搭乗員の視線から見た戦記として極めて貴重なものだと思います。

マリアナ沖海戦において「隼鷹」は姉妹艦「飛鷹」を失い自らも爆弾数発の直撃を受け中破。
損害の修理を終えた後は大きな容積を持つ格納庫を活かして輸送任務に従事することとなります。
1944年12月、マニラから台湾へ移動、さらに本土へ向かう途中で米潜水艦の襲撃を受け艦首と右舷中央部に魚雷が命中、艦首下部を10m近く吹き飛ばされ、右舷機械室が浸水によって使用不能となるも中央隔壁のおかげで左舷機械への浸水がなく、片舷運転で長崎へ帰投する事に成功しています。
「隼鷹」は吹き飛ばされた艦首下部と船体の修理は行ったものの全損状態の右舷機械は修復されずこの状態で終戦を迎え、戦後は航行可能であったものの片舷運転不能であった為に復員輸送には使用されず、昭和21年6月1日より解体開始、翌年8月に解体完了となりその姿を消しました。
姉妹艦の「飛鷹」はマリアナ沖海戦を除くと殆ど実戦での活躍の機会がありませんでしたが、「隼鷹」は武勲に恵まれミッドウェー海戦後の機動部隊戦闘の殆どに参加、かつ終戦まで生き残るという強運を見せました。
「隼鷹」は日本海軍が計画した商船改装空母の中で最も大型かつ商船としては高速の優秀艦であり、計画当時に期待された役目を十分以上に果たした名艦と言えるでしょう。

最後にマリアナ沖海戦で第二航空戦隊を編成した「龍鳳」との比較。
航空母艦隼鷹&龍鳳1航空母艦隼鷹&龍鳳2航空母艦隼鷹&龍鳳3
全長にはあまり差がない両艦ですが、最大幅が隼鷹27m弱に対し龍鳳20mと大きな差があり、これが搭載数の差となって表れています。
隼鷹が計画時常用48+予備5機合計53機に対し、龍鳳は常用24機+予備7機の合計31機でしかありません。

次回は月末~来月頭で戦艦「長門ヤングバージョン屈曲煙突時」の予定。
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