鴻型水雷艇「鵲」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は鴻型水雷艇「鵲」です。
艦これには未だ未登場の艦種ですが実質的な二等駆逐艦と呼ぶべき艦で、ロンドン軍縮条約下で保有量を制限された駆逐艦の補助戦力として整備されたのが水雷艇です。
第一陣が「千鳥」型水雷艇で、535トンの排水量で12.7センチ砲3門(連装・単装各1基)、53センチ連装魚雷発射管2基4門を搭載する重武装艦として計画されました。
 ※ロンドン軍縮条約では600トン未満の艦艇は条約制限外
が、小型軽量の船体に過度な武装によりトップヘビーを引き起こし、竣工直後の「友鶴」が転覆(「友鶴」事件)するという事故が発生、この「千鳥」型の問題点を解決して8隻が建造されたのが今回紹介する「鵲」を含む「鴻」型水雷艇です。
「千鳥」型の反省から基準排水量は840トンに増大し、主砲は11年式45口径12センチ単装砲(M型)3基、53センチ3連装魚雷発射管1基、毘式40mm単装機銃1基、爆雷投下台6基、94式爆雷投射機1基、爆雷16個を搭載。
30ノットの最大速力と14ノットで4000海里という航続距離を持ち、その戦力は大正期に整備された二等駆逐艦(「樅」型及び「若竹」型)にも劣らないものでした。

まずは全体から。
水雷艇「鵲」全体1水雷艇「鵲」全体3
水雷艇「鵲」全体2水雷艇「鵲」全体4
水雷艇「鵲」全体5水雷艇「鵲」全体6
水雷艇「鵲」全体7
外見は当時の大型駆逐艦をそのまま小型化したような感じで、船体は船首楼型となっています。

「鵲」艦首。
水雷艇「鵲」艦首1水雷艇「鵲」艦首2水雷艇「鵲」艦首3
主砲の防楯が丸みを帯びているのが外見上の特徴となっています。
また「鴻」型水雷艇が搭載したM型砲は最大仰角を55度に高められており、中国戦線において揚子江等の大河を遡上、陸軍や陸戦隊の作戦に協力する際に山なりの弾道で砲撃可能なようになっています。
艦橋は2層構造で重心低下を意識してかなり小型化されています。

「鵲」中央部。
水雷艇「鵲」中央部1水雷艇「鵲」中央部2水雷艇「鵲」中央部3
「吹雪」型以降の艦隊型駆逐艦と異なり、煙突は1本となっています。
煙突の後ろに探照灯と毘式40mm単装機銃を装備、さらにその後ろの甲板上に53センチ3連装魚雷発射管1基を装備。

「鵲」艦尾。
水雷艇「鵲」艦尾1水雷艇「鵲」艦尾2
後部甲板には後部上構を挟んで主砲が2基配置されています。
艦尾両舷に備えられたT字型のものは掃海用具であるパラベーンで、その後方に両舷各3基の爆雷投下台を装備。
3番主砲の後方に94式爆雷投射機と爆雷装填台を装備しています。

「鴻」型水雷艇は当初16隻の建造が見込まれていましたが、軍縮条約の脱退が確定的となり制限外艦艇による戦力の補強を行う必要がなくなった事から8隻の建造に留まりました。
沿岸海域防備用としては極めて優れた性能を持ち、戦時量産駆逐艦のベースとしても有望であった水雷艇(実質二等駆逐艦)の系譜は「千鳥」型4隻と「鴻」型8隻で途絶え、これ以降日本海軍は艦隊型の大型駆逐艦を量産していく事となります。
「鵲」は完成後に上海海軍特別陸戦隊の支援や揚子江河川警備に従事。
太平洋戦争開戦後は香港攻略戦に参加、さらに各地への船団護衛任務に従事しました。
しかし船団護衛任務中の昭和18年9月27日、ニューブリテン島北西にて米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け撃沈され昭和18年12月1日除籍となりました。

鴻型水雷艇「鵲」でした。
次回更新は今のところ未定、7月末に独未成空母「グラーフ・ツェッペリン」が到着予定ですが、それまではネタが出来次第更新するかも?といったところ。
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飛行艇母艦「秋津洲」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は可愛さ特化で戦力としては役立たずの飛行艇母艦「秋津洲」です。
艦これにおいては水上機母艦に分類されていますがフロートを持つ水上機の運用能力はなく、双発以上の大型飛行艇に対する整備補給能力を持ち、基地機能がない前線での飛行艇支援を目的として建造されました。
昭和14年度計画により川崎重工によって建造、昭和17年4月29日竣工。

まずは全体から。
飛行艇母艦秋津洲全体1飛行艇母艦秋津洲全体2
飛行艇母艦秋津洲全体3飛行艇母艦秋津洲全体4
飛行艇母艦秋津洲全体5飛行艇母艦秋津洲全体6
「秋津洲」は竣工直後から写真にあるような迷彩塗装を備えていました。
これは竣工時の艦長である.黛治夫大佐の考案によるもので、迷彩塗装を指して「厚化粧」と言われた同大佐は「攻撃力がないから、昆虫のように保護色にしたんですよ」と返したという話が残っています。

「秋津洲」艦首。
飛行艇母艦秋津洲艦首1飛行艇母艦秋津洲艦首2飛行艇母艦秋津洲艦首3
艦首には89式12.7センチ連装高角砲を装備。
箱型の艦橋構造はシンプルで、メインマストも電探などの装備はなくすっきりとした形状となっています。

「秋津洲」中央部。
飛行艇母艦秋津洲中央部1飛行艇母艦秋津洲中央部2
艦橋構造と煙突に間に89式12.7センチ連装高角砲を装備。
煙突を境にして艦前部に高角砲、機銃と言った兵装を装備しており、煙突より後部が飛行艇整備用のスペースとなっています。
……個人的には艦橋構造と煙突の間に配置された高角砲は射界制限も大きく、実用的ではなかったんじゃないかと思えます。

「秋津洲」艦尾。
飛行艇母艦秋津洲艦尾1飛行艇母艦秋津洲艦尾2飛行艇母艦秋津洲艦尾3
なんといっても「秋津洲」の形状として最大の特徴が艦尾に備えられた力量35トンの大型クレーンでしょう。
これは重量30トンを超える二式飛行艇を釣り上げる為のもので、模型でも二式飛行艇が甲板に鎮座しています。
「秋津洲」は前線において模型のように飛行艇を後部甲板に載せて整備補給を行う艦として計画され、この状態での航行は考慮されていません。
この為模型も停泊状態を再現しており、二式飛行艇の主翼下にはカッターや内火艇を繋留する為の「繋船桁」と呼ばれる張り出しが展開されており、煙突横には士官乗艦用の舷梯も降ろされた状態となっています。

「秋津洲」艦橋。
飛行艇母艦秋津洲艦橋
艦橋の両舷に96式25mm連装機銃を装備。
高射装置を装備するなど対空兵装に関しては相応の配慮が為されている事が判ります。

二式飛行艇。
飛行艇母艦秋津洲二式飛行艇
川西航空が開発した四発の大型飛行艇で、魚雷2本もしくは大型爆弾2発を搭載しての対艦攻撃任務をも想定、機体設計の優秀さもあって海軍が望んだ性能をほぼ完全に満たした高性能機として完成しました。
最大速度は時速460km以上、航続距離は偵察過荷重で7000km以上という世界水準を遥かに超えた性能を誇り、ソロモンを巡る戦いではアメリカのB-17爆撃機などとも空戦を行い、これを撃退した記録も残っています。
現在同機は鹿児島県鹿屋の海上自衛隊鹿屋基地に世界で唯一現存する機体が保管展示されています。
※参考:他国の四発飛行艇
アメリカ:コンソリデーテッド社PB2Y「コロネード」 最大速度360km、航続距離3700km
イギリス:ショート社「サンダーランド」 最大速度336km、航続距離4600km

「秋津洲」は竣工からしばらくの間は南方において計画通りの飛行艇母艦任務に就きました。
戦局の悪化に伴い航空基地の移動に伴う輸送任務や魚雷艇輸送などにあたり、昭和19年夏には臨時工作艦としての改装を受けました。
しかし工作艦任務に就いてから僅か数か月でフィリピンのコロン湾にてアメリカ機動部隊による空襲を受け爆弾が直撃、爆発沈没しました。
現在でもコロン湾の海底に「秋津洲」は眠っており、「伊良湖」と共に沈船ダイビングスポットとしてその姿を見る事が可能となっています。

以上、飛行艇母艦「秋津洲」でした。
次回更新は水雷艇「鵲」を予定しています(これ、読める人どれだけいるんだろうか……?)。

甘味処間宮の暖簾

……更新予定はなかったけれど、変わったアイテムが届いたのでご紹介。
タカラトミーアーツより予約注文限定で販売された「甘味処間宮 暖簾」です。
麻100%で公式HP曰く、「実用性の高い本物志向の逸品」という品物です。

全体。
甘味処間宮暖簾全体
大きさは90センチ×120センチ、生地は薄めで下の布団が透けて見えるほど。
本物志向だけあって生地そのものはしっかりしていて、手触りも中々。
右上、右下、左下のアップ。
甘味処間宮右上甘味処間宮右下甘味処間宮左下
模型やフィギュアも良いけどたまにはこんなアイテムも良いよね!(でもお値段¥8640-、ちょっとお高め)
……でもやはり飾る(?)場所に困るのは同じという罠、コレクションケースや本棚で壁が埋め尽くされてるので吊り下げようがないというorz

次回更新は予定通り飛行艇母艦「秋津洲」。

水上機母艦「神威」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は「艦これ」2017年春イベントにて実装された水上機母艦(給油艦/飛行艇母艦兼給油艦)「神威」です。
運営ツィッターでチラ見の段階で新規実装艦を「神威」と断定、キットを探し回ったところポーランドのレジンキットメーカーであるニコモデルから水上機母艦時代の「神威」が発売されている事を確認、急遽購入の上優先製作依頼を出す事にしました。
……ちょっと先走った気がしなくもないですが、チラ見で「神威」と判断したのは間違っていなかったので一安心。
そんな「神威」ですが、本来の地名としては「か”む”い」なのですが艦名としては「か”も”い」となっています。
これは他にも「伊良湖」が同じく本来の読みは「いら”ご”」なのですが艦名としては「いら”こ”」となっている例があります。

まずは全体から。
水上機母艦神威全体1水上機母艦神威全体2
水上機母艦神威全体3水上機母艦神威全体4
水上機母艦神威全体5
大本は大正時代の建艦計画、「八八艦隊計画」の補助艦として計画された艦隊給油艦で、ターボ電気推進技術の評価試験を目的としてアメリカのニューヨーク造船所に発注、大正11年9月12日に竣工しました。
竣工時は特務艦(運送艦)に類別されましたが昭和7年8月より水上機母艦への改装を受け、昭和9年6月1日に特務艦籍から軍艦籍へ移り、水上機母艦へ再類別されました。
キットはこの水上機母艦時代のもので、昭和12~13年初頭辺りの姿を再現したものとなっているのですが、何故かキットの方は「1942年」の文字が。
艦尾のハインマットは昭和13年(1938年)に撤去されている&昭和14年に再改装されて飛行艇母艦へ変更されているので実質昭和12~3年頃の姿となっている事をご了承下さい。

「神威」艦首部分。
水上機母艦神威艦首1水上機母艦神威艦首2水上機母艦神威艦首3
元が給油艦として計画されただけに、艦首の形状など当時のタンカーに限りなく近いものとなっています。
艦首左舷にのみ菊花紋章が付いていますが、実際には右舷側にも付いていたようです。
前部マストの下にある箱状の構造物は仮艦橋で、本来の艦橋からの見通しが悪化した為に設置されたものと思われます。

「神威」中央部。
水上機母艦神威艦中央1水上機母艦神威艦中央2水上機母艦神威艦中央3
水上機母艦神威艦中央4水上機母艦神威艦中央5
「神威」のキットで一番の見どころはやはりこの中央付近の航空艤装及び格納庫でしょうか。
本来の上甲板の上に鋼製甲板を増設の上軌条を設けて格納甲板とし、さらに鋼製の天蓋を設置して格納庫内の水上機を保護する形になっています。
射出機が装備されていないのは軍縮条約の条項に違反する為で、この事もあって「千歳」などのような艦隊型水上機母艦と異なり外地での基地機能をメインとした改装となっています。
搭載機は常用・補用合計12機で、90式水上偵察機や94式・95式水上偵察機を搭載していたようです。
鋼製天蓋は右舷側が切り欠かれた形状となっており、ここからデリックを介して搭載機を洋上に降ろして発進させる方式となっています。
また鋼製天蓋の各所に13ミリ単装機銃を装備しており、煙突両脇に装備された8cm高角砲と合わせて対空戦闘を主眼とした兵装が施されています。

「神威」艦尾。
水上機母艦神威艦尾1水上機母艦神威艦尾2水上機母艦神威艦尾3
水上機母艦神威艦尾ハインマット
艦尾に装備しているリール状のものはハイン式揚収装置(ハインマット)で、以前「瑞穂」の説明で書いたものと同じ(というか「神威」から撤去したハインマットを「瑞穂」が装備した)で、キットではこのハインマットもエッチングパーツで展開状態を再現しています。
艦尾近くにある円形の台座は中口径砲を装備可能な砲座で、後に14cm単装砲が装備されています。
煙突付近に林立しているキセル状のものは通風筒で、明治~大正期の艦艇によく見られるものです。

「神威」はこの後昭和14年に飛行艇母艦への改装を受け、戦争中は主として重油輸送に使用されました。
昭和19年に給油艦へ類別変更され、香港に停泊していた昭和20年4月5日に米空母機による空襲を受け大破、4月13日に浸水量の増加により着底、そのまま終戦を迎えました。
戦後は英軍により解体され、昭和22年5月13日に除籍。
水上機母艦「神威」でした。
ターボ電気推進の評価試験を目的としてアメリカに発注され、給油艦>水上機母艦>飛行艇母艦>給油艦と艦種変更を繰り返すという変わった経歴を持つ艦ですが、活動そのものは地味でした。
とはいえこんな艦が日の目を見るのも「艦これ」の大きな特徴だと思います。
……実装されなかったらキットを手に入れようとか全く考えなかったでしょうし。

次回更新は飛行艇母艦「秋津洲」を予定。

一式陸攻

今回の更新はエフトイズ 食玩 1/144 大型機コレクションから「一式陸攻」です。
艦これにも基地航空隊の使用機として実装されており、日本海軍基地航空隊を代表する機体として知られています。
一式陸攻正面一式陸攻上面2一式陸攻上面1
双発機としては非常にスマートかつ洗練された姿を持ちます。
胴体は下のように「葉巻型」と呼ばれる形状を持ち、機首から尾部まで太い真円形となっています。
一式陸攻右側一式陸攻左側
胴体後部に描かれた日の丸の中央がハッチとなっており、搭乗する乗員は「日の丸の中央を潜る」という搭乗方法に密かな誇りを持っていたとも言われています。
一式陸攻尾部


さて一式陸攻の「陸攻」ですが、正式には「陸上攻撃機」となり略称として「陸攻」。
日本海軍における「攻撃機」とは魚雷を搭載可能な機体を表し、艦載機ではなく陸上基地から運用する為に「陸上攻撃機」となります。
一式陸攻は陸攻としては最初の成功作となった九六式陸攻の後継機として計画・開発された機体で、配備早々にマレー沖海戦において九六式陸攻と共に英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」および巡洋戦艦「リパルス」撃沈をいう戦果を挙げた事で知られています。
しかし一般的には「一撃で火を噴く」と言われ「ワンショットライター」という有り難くない渾名を持つ事でも有名です。

実際の「一式陸攻」とはどういう機体だったのか?
まず「陸攻」という機体そのものは昭和9年かそれ以前に着想されており、戦艦戦力の不利を航空戦力で補う為の手段として計画されています。
大本は九三式双発艦攻で、空母から発進する双発の大型艦攻として計画された機体が事実上空母運用適正を得られず、陸上配備になった事からスタートしました。
昭和9年の時点で双発の九試陸上攻撃機(中型攻撃機、略称中攻:後の九六式陸攻)の開発が始まり、同時に四発の大型陸上攻撃機(大攻)の開発も行われていました。
しかし四発の大型陸上攻撃機(九五式陸攻)の開発は事実上失敗、陸上攻撃機は中型双発の九六式陸攻がその主力となります。
当初は「戦闘機無用論」すら引き起こした程の高性能を持つ「九六式陸攻」でしたが、台湾から中国本土への爆撃作戦、所謂「渡洋爆撃」と呼ばれた作戦において防弾装備が皆無な事から大きな損害を被りそれまでの優秀機という評価が一転して「欠陥機」とまで呼ばれるようになってしまいました。
この「九六式陸攻」の大損害を受け、防御の改善を目的として計画されたののが一二試陸攻、後の一式陸攻となります。

最初に書いた通り、防御力が低く一撃で火を噴くワンショットライターとまで呼ばれた機体が「九六式陸攻の防御改善」を目的として開発された、という事実は些か違和感があると思います。
これは用兵側が防弾装備を強く主張したのに対し、海軍の技術者が現状の発動機では防御を重視すると性能が落ちるので空力的な洗練を加え速度を向上させる方向を主張しました。
この時用兵側の代表は大西瀧治郎大佐(当時、後海軍中将)で、大西大佐は1937年8月21日に九六式陸攻6機からなる夜間爆撃作戦に同乗、4機が中国空軍の戦闘機によって撃墜されるのをその目で見ていたが故に防御強化を強く主張したのです。
しかし技術者は「技術的に不可能」と回答するばかりで最終的に速度を以て防御力とする方針が決定、三菱への試作発注がなされる事となりました。

三菱では本庄技師を中心として設計を進め、途中でそれまでの「金星」発動機からより強力な「火星」発動機を使用する事となり、発動機出力の余裕を用いて燃料タンクの前後壁へ防弾ゴムが付される事となります。
しかし長大な航続距離の要求から後付けの防御力強化が難しいインテグラルタンク(構造部材そのものを水密構造とし、その部分を燃料タンクとして利用する方式)が採用され、被弾面積の大きな上下面が無防御となった事が後々まで一式陸攻の防御改善に影を落とす事となりました。
完成した一式陸攻は最高速度こそ440km強と九六式陸攻二一型の373kmより向上しましたが、それでも既に500kmを超えるのが当たり前となっていた戦闘機に対する優位性は望むべくもありませんでした。
それでも開戦劈頭のマレー沖海戦ではイギリス艦隊に護衛戦闘機が居なかった事もあり戦史に残る活躍を見せます。
しかし昭和17年2月にラバウル沖へ現れた米空母「レキシントン」への攻撃では全滅に近い損害を受けてしまいました(17機出撃、13機撃墜、不時着2機)。

これは低空を低速で飛ばざるを得ない雷撃においては護衛戦闘機の反復攻撃を避けられず、味方の戦闘機も皆無であった事が最大の理由ですが、それでもマレー沖海戦から僅か3カ月後でその威力が大きく殺がれてしまったのです。
しかし一式陸攻は発動機の全開高度が高く、8000mでの巡航が可能であった事もあってガダルカナル島を巡る爆撃任務では大きな損害を出していません。
実際にガダルカナル島を爆撃しに来た一式陸攻に対し、当時の米陸海軍の戦闘機は高高度性能の不足もあって満足な迎撃態勢を取る事が出来ず、迎撃に成功しても反復攻撃が難しい事から一式陸攻の撃墜は極めて困難でした。
上記の事から一式陸攻という機体は本来求められた雷撃任務時の被弾・撃墜率が極めて高く、高高度からの爆撃任務ではその高高度性能を活かし十分な生還率を確保出来たと言えます。
そんな一式陸攻の改良はそのほぼ全てが防弾防火対策との戦いと言っていいものでした。

しかし設計主務者の本庄技師は徹頭徹尾防御力強化に反対の立場を取っており、「防弾装備を施しても最初の一撃を防げる(=燃えない)だけで連射されれば結局燃えてしまう」と言い放ち、戦後になっても一式陸攻の防御強化に否定的な発言を繰り返しました。
防御が殆どない事から「日本軍の人命軽視の象徴」とまで呼ばれる事がある一式陸攻ですが、実際には用兵側が防御力の強化を主張し、官民共に技術者がそれを否定すると言う皮肉な構図が最後まで続いたのです。
一式陸攻煽り


なんか尻切れトンボだけど一式陸攻でした。
次回更新は来週末くらいに「秋津洲」もしくは「神威」の予定。

プライズフィギュア「暁」「響」

今回の更新はプライズ品のフィギュア、第六駆逐隊を編成する「暁」と「響」です。
劇場版艦これのプライズ品に使われたイラストを立体化したもので、「電」は既に発売済みですが「雷」がまだなので雷電コンビは「雷」が揃ってからの紹介になる予定。

では特Ⅲ型ネームシップの「暁」から。
PMフィギュア暁全体1PMフィギュア暁全体2PMフィギュア暁全体3
PMフィギュア暁全体4PMフィギュア暁全体5PMフィギュア暁全体6
いつもの制服にピンク色のエプロンを着け、右手で斜め上方を指し示したポーズとなっています。
全体的な造形はプライズ品という事を考えると非常に良好。
ただしゲート跡などは完全に処理されておらず目立つ部分があり、個体差だとは思いますが塗装ムラや色移りも若干あります。

顔。
PMフィギュア暁顔PMフィギュア暁Ⅲマーク
一般的な(?)イメージとは違って非常に凛々しい造形となっています。
アイプリントも綺麗で造形には文句なし、左胸付近に特Ⅲ型を示す「Ⅲ」のバッジ付き。
コスト削減の為と思われますが、肌色の部分は成形色そのままになっていますが、元の成形色が良く違和感は殆どなし。

上半身と下半身。
PMフィギュア暁上半身PMフィギュア暁下半身
元が元なので当然ぺったんこ(?)。
靴の辺りも含め艤装となるものは一切なし、基本的な塗装は非常に綺麗。


続いて「響」。
PMフィギュア響全体1PMフィギュア響全体2PMフィギュア響全体3
PMフィギュア響全体4PMフィギュア響全体5PMフィギュア響全体6
暁に対し響はお玉を持ったポーズで立体化されています。
こちらも暁と同じくプライズ品として見た場合は全体的な造形と塗装は非常に良好。
ただし髪型と成形色為にゲート跡はより目立ってしまっているのが残念なところ。

響はお玉が別パーツで差し込み式となっており、もうひとつ別パーツになっているものがあります。
PMフィギュア響おたまPMフィギュア響顔1PMフィギュア響顔2
アニメ版6話で披露した(?)鍋響状態が再現可能。
何故かお玉共々メッキ塗装がされているという力の入れっぷり。
とはいえお鍋もゲート跡が若干目立つ(画像右)のがちょっと残念なところ。

響下半身。
PMフィギュア響下半身
暁との違いは絶対領域の有無。
こちらも基本的な塗装は非常に綺麗でプライズ品としてはかなり頑張っていると思います。

暁と響。
PMフィギュア暁&響
アニメ版ベースの造詣で非常に可愛い&凛々しいものとなっています。
第六駆逐隊が好きでアニメ版のデザインもOK!という方には非常にお勧めです。
プロフィール

大隅4001

Author:大隅4001
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