陸軍丙型特種船「あきつ丸」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回は前回と同じく明らかに「艦これ」の影響でキット化された「あきつ丸」です。
……軍事マニアの中でもマイナーどころの話じゃない船ですが、これが商業ベースでペイすると判断されてキット化されるんだから恐ろしいw
静岡模型三社が艦これ運営に感謝状を出したのもうなずけます。

日本陸軍は明治以降基本的に外征軍として発達・拡大してきました。
外征軍とは文字通り「外で戦う」軍隊であり、島国の日本から外に出る=船舶輸送を行う、という事になります。
第一次世界大戦の戦訓を研究した日本陸軍は1920年代から「上陸作戦専用船」を研究し始め、歩兵揚陸用の小型発動艇(小発)や戦車/車両揚陸用の大型発動艇(大発)の開発に成功、さらにそれらを搭載する母船の研究を始めました。
この研究によって建造されたのが世界初の強襲揚陸艦とも呼ばれる「神州丸」です。
そして今回紹介する「あきつ丸」はこの神州丸の成功を受けてその発展改良型として建造されました。

あきつ丸全体。
あきつ丸全体1あきつ丸全体2
あきつ丸全体3あきつ丸全体4
模型の「あきつ丸」は1944年に対潜哨戒機を運用出来るように改装された時代のものとなっています。
とはいえ就役当初より飛行甲板そのものは設けられており、改装前は車両搭載や航空機輸送用のスペースとして用いられていました。
あきつ丸全体5
外見だけを見ると小型のブリッジや煙突がある分、海軍が商船を改装した小型空母(大鷹型、神鷹、海鷹等)に比べより空母らしい姿となっています。
また船体の基本形は一般的な商船と同じであり、上部構造物の高さを減じる事で全通式飛行甲板を設置しています。
船体中央部は構造物が飛行甲板に繋がっていますが、前後は左右両舷に設けられた支持構造で支えられてるのが判ると思います。

あきつ丸船首。
あきつ丸船首
ピントが飛行甲板前端になっているのでぼやけてしまっていますが、船首には88式7.5センチ高射砲を左右両舷に各1基ずつ装備。
飛行甲板前端部分に載っている機体は萱場製作所製の「カ号観測機」、一見ヘリコプターに見えますがオートジャイロという別の機体で、当初は対潜警戒用に用いる予定でしたが後述の「三式連絡機」が搭載される事になります。
あきつ丸船首2

あきつ丸中央部。
あきつ丸中央部1あきつ丸中央部2あきつ丸飛行甲板2
左側はブリッジ付近を右舷正横から見たもので、かなり小型の船橋と煙突である事が判ります。
両者の間に設けられている構造物は搭乗員待機所。
真ん中と右は船橋付近を俯瞰したもので、「目」の字に見える部分は着船制動装置です。
甲板上に駐機しているのは「三式連絡機」で対潜哨戒用に爆雷を搭載出来るよう改造されていました。
左右両舷に25mm単装機銃を各3基装備しており、機銃座には着船指示灯が装備されています。

あきつ丸船尾。
あきつ丸船尾1あきつ丸船尾2あきつ丸船尾3
飛行甲板最後部にエレベーターを装備しており、ここで搭載機を昇降させます。
格納庫には最大13機の収容が可能と言われていますが、三式連絡機を収めるには斜めにする必要があり、行き違う事も出来なかった為に入れ替えは相当な苦労を伴ったとか……(運用期間は事実上テストのみでしたが)。
船尾の砲座に船首と同じく88式7.5センチ高射砲が両舷各1基、最後部には対潜攻撃用の12cm対潜迫撃砲を装備。
あきつ丸は元が神州丸と同じ揚陸作戦用の船であり、それを象徴する装備が船尾に設けられた扉です。
内部には大発や小発を搭載する格納庫があり、上陸作戦時には船内の格納庫に設けられた軌条の上を大発や小発が移動、船尾扉を開くとシーソー式の発進装置から順次海面へ滑り落として連続発進が可能となっていました。
なお、ウィキペディア等でこの格納庫を「ウェルドック」と表記の上神州丸やあきつ丸を「ドック型揚陸艦」としていますがこの格納庫はドックと違って注水可能なようには出来ておらず、ドック型揚陸艦とは呼べない構造となっています(注水可能なドックを持つ世界初のドック型揚陸艦は米アシュランド級)。

あきつ丸は1941年1月に完成、その後すぐに蘭印攻略作戦に従事。
蘭印攻略作戦終了後は大きな積載能力と揚陸能力を活かし、本土からの兵員/物資輸送任務に当たりました。
特にソロモン戦が激化し空襲も日常的となったラバウルへの輸送を3回も行い、同地に展開する陸軍航空隊への補給任務を成功させている事は特筆すべき戦果と言えるでしょう。
そして米潜水艦の脅威に対処する手段の一つとして上述の通りあきつ丸は対潜哨戒機を搭載し船団護衛を行う為の改装を受ける事となります。
1944年7月末に改装完了、三式連絡機を装備した独立飛行第一中隊を搭載の上輸送&対潜哨戒任務を行う事となり、当初は日本海航路(対馬海峡)を主とする護衛作戦を実施したものの、この時期は米潜水艦が同海域に出撃していなかった為対潜戦闘を行う事はありませんでした。
同年11月、フィリピン方面への緊急輸送任務があきつ丸に命じられ、門司~シンガポールの輸送任務に就く「ヒ81船団」に参加、途中まで同行する事になります。
この時あきつ丸にはフィリピンへの増援である歩兵連隊の便乗者約2500名とその装備に加えフィリピン防衛に必要な装備を満載、飛行甲板上には四式肉薄攻撃艇(通称「まるレ:○の中にレ」)を搭載、三式連絡機の運用は不可能となっていました。
そして集結地の伊万里湾を出撃したあきつ丸は出港翌日に長崎県五島列島沖にて米潜水艦「クィーンフィッシュ」の雷撃を受け弾薬庫が誘爆、船尾付近が吹き飛ばされ急速に浸水、撃沈されました。

あきつ丸は改装前の時点でも発進のみとはいえ航空機10機以上を搭載可能で、さらに多数の上陸用舟艇を出撃させられるという現代の強襲揚陸艦が持つ要素を備えた画期的な存在でした。
陸軍がこのような船舶を研究開発した事は第一次大戦における上陸作戦を真摯に研究した結果であり、その柔軟性は大きく評価されるべきだと思います。
さらに米潜水艦の脅威が拡大する中で対潜哨戒機の母船とする改装を決めた陸軍の判断は海軍のそれより現状認識という点において勝りこそすれ劣るものではありません。
以前紹介した三式潜航輸送艇の開発経緯もそうですが、戦争末期の海軍は「航路護衛」に対する危機感があまりにも薄かったように思えます。

次回更新予定は改装空母「隼鷹」。
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