金剛型戦艦「比叡」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は金剛型戦艦2番艦「比叡」です。
「比叡」は金剛型2番艦かつ我が国初の国産超弩級巡洋戦艦として1911年(明治44年)11月に横須賀海軍工廠で起工しました。
……とはいえ実は「比叡」に用いられた装甲鈑や主砲等、主要部品の大半は「金剛」を建造した英ヴィッカース社からの輸入品となっています。
それでも「比叡」を自国内で建造した事は建造技術の取得に大きな貢献をしており、本艦以降の超弩級戦艦国産化の道を切り開いたのは紛れもない事実です。
今回の「比叡」は1942年ミッドウェー海戦時のもので、この時の姿は帰投中の本艦を空撮した写真が残されています。
同年11月の第三次ソロモン海戦第一夜戦において日本戦艦喪失第一号となる「比叡」ですが、ミッドウェー海戦以降特に改装等は行われておらず事実上最後の姿となります。

まずは全体から。
戦艦比叡全体1戦艦比叡全体2
戦艦比叡全体3戦艦比叡全体4
既に紹介した「金剛」「榛名」と同じく巡洋戦艦らしいスマートなラインを持ち、最大速度30ノットという俊足を誇ります。


「比叡」艦首と前部主砲。
戦艦比叡前部1戦艦比叡前部2
2番主砲天蓋の日の丸は敵味方識別用の対空標識です。


「比叡」艦橋。
戦艦比叡艦橋3戦艦比叡艦橋2
本艦は軍縮条約に伴う練習戦艦化からの復帰に際し、当時計画中だった「大和」型戦艦に導入する各種装備のテストベッドとして様々な新機軸が取り入れられました。
特にそれが顕著に表れているのが艦橋構造で、同型艦である「金剛」や「榛名」に比べ「大和」に近い形状となっています。
下段左より「比叡」「榛名」「大和」の艦橋を並べてみました。
戦艦比叡艦橋1榛名艦橋正横大和艦橋2
「比叡」の艦橋が同型艦の「榛名」より「大和」に近い形状を持つ事が分かります。

「比叡」中央部。
戦艦比叡中央部1戦艦比叡中央部2
艦橋両舷と1、2番煙突間両舷に89式12.7cm連装高角砲を装備。
この時期はまだ25mm機銃が三連装化されておらず、全て連装機銃となっています。


「比叡」後部。
戦艦比叡後部2戦艦比叡後部1戦艦比叡後部3
3番主砲天蓋にも2番主砲と同じく敵味方識別用の対空標識として日の丸が描かれています。
3、4番主砲の間が航空作業甲板となっており、模型では95式水上偵察機が2機駐機。
艦尾部分は大改装の際に推進抵抗を軽減する為に7.6m延長されており、船体ラインにある僅かなくびれにそれが表れています。


最後に艦娘「比叡」夜戦時のセリフ「私! 頑張るから! 見捨てないでぇー!!」について。
「比叡」は昭和17年11月の第三次ソロモン海戦第一夜戦において巡洋艦を主力とする米艦隊と交戦、海戦史上最大の混戦とも言われる同夜戦において艦尾舵機室への命中弾によって操舵不能となり、自由な行動が出来なくなってしまいます。
必死の応急作業を繰り返すも夜明けからはガダルカナル島より出撃する航空機による攻撃も始まり、機関室全滅という報告を受けた艦長西田大佐は「比叡」の自沈を決定、総員上甲板を命令しました。
しかしこの「機関室全滅」は完全な誤報であり、実際には「比叡」は全力発揮可能な状態でした。
この誤報は機関部付近への魚雷命中(不発)とほぼ同時に爆弾命中による火災が発生しており、この火災が機関室被弾によるものと誤解された事が原因と言われています。
西田大佐は「雪風」移乗後に部下へ「機関室の状態はどうだったのか」と問い質したのですが、部下からは「異常ありません、全力発揮可能であります」と返され、そこで初めて「比叡」の機関が健在であった事を知らされることとなります。
直後に「比叡」に対する雷撃処分が実施され、処分を止める事が出来なかった西田大佐は「騙されたッ!」と悲痛な声をあげたと伝えられています。
舵が効かない状態でも機関部さえ健在であれば左右のスクリュー回転数を調整するなどの方法で帰投を試みる事は十分可能であり、艦娘「比叡」のセリフはこの状況を表したものと言えるでしょう。
ゆくゆくは連合艦隊司令長官にもなり得ると言われた艦長の西田大佐でしたが、誤報に基づくとはいえ未だ機関部が健在な艦を放棄したという事もあり予備役編入即日召集という処分(実質は懲罰人事)が下される事となります。

この第三次ソロモン海戦第一夜戦ですが、現在でも「この海戦における各艦の正確な航跡図を作成することは未来永劫にわたって不可能だろう」と言われるほどの大混戦でした。
敵味方共に敵艦隊の動向どころか味方艦の動きさえ碌に把握できず、近代海戦史上あり得ないレベルの至近距離における戦いだった為に大は戦艦から小は駆逐艦まで殆どの艦が水平射撃で戦った(一部の艦は俯角をかけて砲撃したとも言われています)というとんでもない状況となっています。
某駆逐艦では「敵艦が至近距離(僅か数百mだったとか……)を反航していくのに主砲も魚雷発射管も旋回が追いつかず、25mm連装機銃の水平射撃で対応した」とされているほどでした。
このような乱戦状況で米艦隊から滅多打ちにされた「比叡」はその着弾範囲が上甲板を挟んで高さ数mの範囲に集中していたと言われ、それが原因で高所にある艦橋と艦体下部との連絡が寸断されてしまい上で書いた誤報に繋がったとも言われています。

またミッドウェー海戦での四空母喪失を国民に対し隠匿した海軍でしたが、第三次ソロモン海戦第一・第二夜戦における戦艦「比叡」「霧島」の喪失は早々に公表されました。
公表直後から海軍への献金が相次ぎ、特に小学生からの献金が多かったとも言われています。
中には御召艦を務めた事もあってか「このお金で新しい「比叡」を作ってください」という手紙と共に送られてきたものもあったそうです。
戦艦という艦種が国民からどのように思われていたかが分かるエピソードではないでしょうか。

次回更新は月末に「神風」「春風」の予定、それ以前に何かネタが出来れば適宜更新。
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