神風型駆逐艦「神風」「春風」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は神風型駆逐艦「神風」と「春風」です。
艦これにおいては共に和装&ブーツに艤装を装備するという、いかにも大正時代の女学生を思わせる姿で実装されました。
駆逐艦としての「神風」型は純日本式設計となった「峯風」型(艦これ未実装)系列の第二シリーズとして合計9隻建造されており、「峯風」型系列の最終型となる「睦月」型の一つ前の艦型となります。
基本的には「峯風」型の復元性を強化する為に船体幅の拡大を行ったタイプで、兵装は「峯風」型と変わりません。
「峯風」型系列の最終シリーズである「睦月」型との最大の違いは魚雷兵装で、合計6門なのは「睦月」型と同じですが同艦が61cm三連装発射管2基だったのに対し「神風」型は53.3cm連装魚雷発射管を3基装備しており、日本海軍が整備した一等駆逐艦としては53.3cmの魚雷を装備した最後の艦型となります。
今回製作して頂いた「神風」は昭和初期の姿、「春風」は大戦末期の海上護衛任務にあたっていた頃の姿となります。

「神風」全体図。
駆逐艦神風全体1駆逐艦神風全体2
駆逐艦神風全体3駆逐艦神風全体4

「春風」全体図。
駆逐艦春風全体1駆逐艦春風全体2
駆逐艦春風全体3駆逐艦春風全体4

就役当初の「神風」は45口径3年式12cm単装砲を4基(艦首に1基、煙突間に1基、後部上構に2基)、53.3cm連装発射管を3基(艦橋前のウェル・デッキに1基、2番煙突と後部上構の間に2基)装備しており、艦尾には一号連携機雷を16個搭載可能でした。
これに対し大戦末期の「春風」は煙突間の2番主砲、後部上構の4番主砲、3番魚雷発射管を撤去して対空兵装を大幅に強化しています。
特に竣工当初は全く装備されていなかった機銃は艦橋前の両舷に25mm連装機銃各1基、旧2番主砲の装備位置へ同じく25mm機銃連装2基、4番主砲の装備位置へ25mm連装機銃1基を装備、他に25mm単装機銃が4基と対空戦闘の激化に伴い大幅に強化されています。
また艦尾の機雷投下軌条は爆雷投下軌条となり、爆雷投射機と合わせて対潜兵装も強化されています。
ほぼ同じアングルからの画像比較で「神風」と「春風」の違いが判ると思います。


左が「神風」、右が「春風」の艦首。
駆逐艦神風艦首駆逐艦春風艦首
駆逐艦神風艦橋
左下の画像で「神風」の艦橋天蓋が白いのは竣工当時この部分が金属製ではなくキャンバス(帆布)張りだった為です。


左が「神風」、右が「春風」の中央部。
駆逐艦神風中央部駆逐艦春風中央部
角度が若干違いますが竣工時のフラットな「神風」の姿と対空兵装増備とそれに伴う重量増加による3番発射管を撤去した「春風」の差が判ると思います。


左が「神風」、右が「春風」の艦尾。
駆逐艦神風艦尾1駆逐艦春風艦尾
今回の「神風」「春風」は以前掲載した「睦月」に比べ模型として大きく違う点が1カ所あります。
両艦の製作にあたり初の試みとして挽き物の金属製砲身を使用して頂いたのがそれで、「睦月」の主砲と比べるとその細さが際立っています。
……写真では殆ど判らないのですが砲口部分もきっちり開口されています、直径0.2mmくらいしかないのに。

「神風」は開戦直後は北方方面で哨戒・護衛任務にあたり、1944年一杯まで同方面で行動。
そして1945年1月、連合艦隊付属となって南方進出を命じられた「神風」は僚艦「野風」と共にシンガポールへ向かうも仏印カムラン湾沖で「野風」が撃沈されてしまいます。
「神風」は単独で第十方面艦隊隷下の第五戦隊(足柄、羽黒)付属となりました。
そして1945年5月のペナン沖海戦(第二次大戦最後の水上戦闘)で英駆逐隊に撃沈された「羽黒」の生存者を救助。
さらに翌月には「足柄」と共にインドネシアのバタヴィア(現ジャカルタ)を出港するもバンカ海峡において英潜「トレンチャント」の雷撃を受け「足柄」もまた撃沈されてしまいます。
「足柄」の生存者と同乗の陸軍兵士合計1253名を救助した「神風」はシンガポールに帰投、この時点で「神風」は同方面で行動可能な最後の日本海軍水上戦闘艦となっていました。
同年7月には米潜水艦「ホークビル」との激闘を演じており、この戦いは後に映画「The Enemy Below(邦題:眼下の敵)」でモデルとされたほどでした。
「神風」は終戦時無傷でシンガポールにあり、復員輸送の任にあたりました。
そして1946年6月、浦賀に向かっていた海防艦「国後」が御前崎付近で座礁、同艦の救助に向かいましたが自らも座礁擱座。
秋月型駆逐艦「夏月」や曳船による引き下ろしが試みられましたが何れも失敗、「国後」と共に放棄が決定、後に解体されその姿を消しました。


「春風」は開戦時に同型艦4隻(朝風、春風、旗風、松風)で第五駆逐隊を編成、第五水雷戦隊の隷下にありました。
フィリピン攻略作戦においてリンガエン湾上陸作戦、マレー半島シンゴラ上陸作戦等に参加、さらに蘭印作戦においてバタヴィア沖海戦に参加するなど旧式艦ながら武運に恵まれました。
1942年3月、第五水雷戦隊が解隊となり第一南遣艦隊へ所属、ビルマ攻略戦へ参加したのを皮切りにジャワ、セレベス、ラバウル方面での護衛任務に従事。
しかし1942年11月、スラバヤ入港直前に触雷、1番魚雷発射管から前部を喪失するという大損害を受けてしまいます(この時「春風」が触れた機雷は日本海軍が敷設したものと言われています)。
1943年5月、仮艦首を付けた「春風」は本土へ回航、呉海軍工廠で本格修理の後8月に復帰、日本本土と南方方面の船団護衛に従事することとなりました。
数多の船団護衛に従事していた「春風」は1944年10月にマタ30船団(「マ」ニラから「タ」カオ」へ向かう船団)に護衛部隊旗艦として参加、アメリカ潜水艦による群狼戦術によって船団の大半を失うも米潜水艦「シャーク」を撃沈、一矢を報いる事に成功します。
しかしその直後の11月、米潜水艦「セイルフィッシュ」の雷撃を受け艦尾を喪失、応急作業に成功しかろうじて沈没は免れました。
本土に戻る事が出来た「春風」は本格的な修理も出来ずそのまま終戦を迎え、戦後は上部構造物を撤去の上船体を京都府竹野港の防波堤として再利用されました。
1948年台風により破損、スクラップとして売却・解体されてその姿を消すこととなります。
船団護衛に活躍した「春風」の名は戦後初の国産護衛艦(実質駆逐艦)に武勲艦「雪風」と共に採用され、「はるかぜ」型護衛艦1番艦として海上自衛隊の国産護衛艦史にその名を留めています。
……なお一番艦「神風」は特攻隊のイメージが強くなりすぎて今後も採用の見込みは絶望的なようです。

以上、「神風」「春風」でした。
次回新規艦は金剛型戦艦「霧島」の予定。
その前に比較画像その他で簡易更新はあるかもしれません。
ROBOT魂「ディジェ」とか重要があればそちらもやるかも?
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