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海防艦「占守」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は占守型海防艦1番艦「占守」です。
占守型は北方警備を主任務として計画され、同時に戦時量産護衛艦のプロトタイプとしての性格を持っていました。
オホーツク海等ソ連との国境付近の海域を行動することが前提とされ、冬期でも結氷にならないよう機関用ディーゼルとは別にスチーム用小型ボイラーを装備していました。
さらに艦体は耐氷構造とされ水線付近の外板の厚さが一般的な5~7mmのほぼ倍となる14mmとなっていました。
最大速度は19.7ノットで航続距離は16ノットで8000海里と外洋型の護衛艦としては十分な性能を与えられていました。
1940年6月に竣工した「占守」は本来の北方警備ではなく東南アジア方面に派遣され、当初予定とは真逆の気候の元ではかなりの居住性悪化を招き、難渋したと伝えられています。

そんな「占守」、まずは全体から。
海防艦占守全体1海防艦占守全体2
海防艦占守全体3海防艦占守全体4
海防艦占守全体5海防艦占守全体6
全体的な形状は「睦月」型や「神風」型といった駆逐艦に近いものとなっています。
主砲は12cm単装砲3基で当時の二等駆逐艦(「樅」型や「若竹」型)と同等でした。

艦首。
海防艦占守艦艦首1海防艦占守艦艦首2
魚雷発射管を装備していない為、艦橋前のウェル・デッキの幅は狭くなっています。
竣工時は艦橋両舷に25mm連装機銃を各1基(合計2基)装備していましたが戦局の悪化と航空脅威の増大に伴い1番主砲の後ろに機銃座を増設、25mm三連装機銃を装備し元の機銃も25mm三連装機銃に換装されました。

艦橋。
海防艦占守艦橋1海防艦占守艦橋2
艦橋は上から見ると半円形の断面図を持ち、戦時量産艦のプロトタイプとしてはその設計は不十分なものでした。
全体として戦時量産を意識した設計とはかけ離れた構造は海軍から設計を委ねられた三菱重工の技師によるもので、一説には「海軍に気に入られる為」に凝った設計にしたとも言われています。
実際に占守型の建造工数は極めて大きく、陽炎型駆逐艦をも上回るものでした。

中央部。
海防艦占守中央1
前部マストに22号対水上電探、後部マストに13号対空電探を装備。
煙突後部両舷に25mm三連装機銃を装備しており近接対空火力は艦隊型駆逐艦と同等レベルとなっています。
後部マストと2番主砲の下にある十字状のものは単艦式掃海具(パラベーン)。

艦尾。
海防艦占守艦尾1海防艦占守艦尾2
元々が北方警備任務を主とした艦の為、砲力に比べ対潜能力は高くありませんでした。
それでも1944年には爆雷搭載数の増加や水中聴音機等を装備し、対潜能力の改善が図られています。

占守型の建造までは「海防艦」と言えば「旧式となって本来の艦種としての能力を果たせなくなった艦」を纏めて分類しておくものでした。
日露戦争時に活躍した装甲巡洋艦(8~10千トン前後)や戦艦(1万5千トン前後)が海防艦籍に入れられており、占守型の排水量860トンを見た担当者が「これは何かの間違いだろう」と8600トンに書き直したというエピソードが残っています。

開戦後は南西方面で護衛任務に従事、地味ながら重要な仕事をこなし「占守」は武運めでたく戦争を生き残りました。
戦後は復員輸送に従事の後1947年にソ連へ賠償艦として引き渡され、日本海軍艦艇としての「占守」はその生涯を閉じました。
ソ連に引き渡された後は通報艦として使われ、1959年に除籍、解体されました。

次回は同型艦「国後(1940)」の更新を予定。

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艦こ関係模型やフィギュア中心のブログです。

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