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軽巡洋艦「大淀(1944)」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は以前更新した「大淀(1943)」の続きになります。

1944年3月、決戦を前に戦艦「大和」を前線に出すべく聯合艦隊の旗艦として改装を受ける事となります。
これは第一戦隊が聯合艦隊司令長官直属の戦力であり、特に旗艦は他部隊へ一時的に貸し出す事が不可能という事態を招いていた事が大きな要因で、後方から指揮を執るのであれば第一戦隊に拘らずとも良いという判断が(ようやくのことで)成された為とも言われています。
この改装で元々は高速水上偵察機「紫雲」を格納する後部格納庫内部を聯合艦隊司令部設備へ改装、後部甲板の大型射出機を撤去して通常の呉式二号射出機へ換装、さらに水上偵察機の搭載数を6機から2機へ減らす事となります。
これらの改装を終え、聯合艦隊旗艦となった「大淀」が今回のものとなります。

まずは全体から。
軽巡洋艦大淀(1944)全体1軽巡洋艦大淀(1944)全体2
軽巡洋艦大淀(1944)全体3軽巡洋艦大淀(1944)全体4
基本的な外形は殆ど変わっておらず、機銃の増備や電探の新設などを除くと外見上の差異は大半が後部甲板となっています。

艦橋。
軽巡洋艦大淀(1944)艦橋1軽巡洋艦大淀(1944)艦橋2軽巡洋艦大淀(1944)艦橋3
艦橋トップの射撃指揮装置の塗装が白色から鼠色に変わり、単装機銃が増備されている程度で大きな変化はありません。

煙突。
軽巡洋艦大淀(1944)煙突1軽巡洋艦大淀(1944)煙突2
メインマスト基部付近に新たに電探室が設けられており、外見上の差となっています。

聯合艦隊司令部設備(元格納庫)。
軽巡洋艦大淀(1944)司令部設備1軽巡洋艦大淀(1944)司令部設備2
軽巡洋艦大淀(1944)司令部設備3軽巡洋艦大淀(1944)司令部設備4
水上偵察機用格納庫は後部扉部分が閉塞され、内部は三層に区切られた聯合艦隊司令部設備へ改装されました。
司令部天井部分は探照灯が25mm三連装機銃へ変更されており、従来装備していた分と合わせて25mm三連装機銃6基が装備されています。

後部甲板。
軽巡洋艦大淀(1944)航空艤装1軽巡洋艦大淀(1944)航空艤装2軽巡洋艦大淀(1944)艦尾機銃座
格納庫がなくなり露天繋止で零式水上偵察機2機を搭載。
最後部には25mm三連装機銃2基を装備する機銃台が設けられており、後方からの敵機に備えています。

……しかしこれらの改装を経てもなお「大淀」の指揮通信能力は聯合艦隊司令部に必要とされる分には足りていませんでした。
1944年6月、あ号作戦(マリアナ沖海戦)において聯合艦隊旗艦として内地から全般統制に当たりはしたものの、実際には改装前から聯合艦隊司令部を陸上に移すという話が進められていたのです。
最終的に1944年9月末、聯合艦隊司令部は日吉の地下壕へ移転、聯合艦隊旗艦としての「大淀」は僅か半年の期間、それも実質的には陸上移転への「繋ぎ」でしかありませんでした。

この後「大淀」は同年10月のレイテ沖海戦において小沢機動部隊の護衛艦として出撃。
15.5cm三連装砲や10cm連装高角砲、多数の機銃を装備した「大淀」は防空任務に適した艦となっており、日本海軍機動部隊最後の出撃を生き延びました。
さらに12月には第二水雷戦隊付属として重巡「足柄」と共にミンドロ島サンホセへの突入作戦(礼号作戦)へ参加、夜間爆撃によって250kg爆弾2発が命中するも幸運な事に2発共不発でした。
そのままサンホセ港沖合に突入した艦隊はアメリカ海軍の魚雷艇を蹴散らしつつ輸送船への攻撃及び物資集積拠点、飛行場への砲撃を行いこれを成功させ離脱します。
この海戦は日本海軍が組織だって実施した作戦における最後の勝利となりました。

礼号作戦を成功させカムラン湾(現ベトナム)へ帰投した「大淀」は年が明けた1945年2月、南方の物資を艦艇を用いて本土へ運び込む「北号作戦」へ参加、シンガポールへ移動して司令部設備を物資輸送用の倉庫へ改装、第四航空戦隊の「伊勢」「日向」と共に日本本土を目指す事になります。
この時北号作戦参加艦艇に積み込まれた各種物資は合計5000トンに満たず、規模としては5000トン級の輸送船1隻分以下でしかありませんでした。
「大淀」はゴム50トン、錫120トン、亜鉛40トン、タングステン及び水銀各20トン、その他航空機揮発油(ガソリン)80トン弱を搭載しシンガポールを出撃しました。
この物資輸送作戦に参加する部隊は「任務を”完”遂する部隊」との祈りを込めて「完部隊」とされ、祈りが通じたのか道中幾度も潜水艦の攻撃を受けたものの全て回避もしくは撃退に成功、2度に渡る航空攻撃は共に付近のスコールへ逃げ込む事でこれも回避。
最終的に完全に無傷のまま艦隊は内地への帰投に成功、僅かな量とはいえ貴重な物資を本土へ運び込む事に成功しました。

しかし「大淀」の幸運もここまででした。
苦労の末本土へ帰投したものの、既に大型艦を動かすだけの燃料はなく、帰投直後に呉練習戦隊へ配属替えが成され実質的に一線艦としての命は尽きたも同然となりました。
1945年3月19日の呉空襲において直撃弾を受け中破、応急修理を受けたものの機関部の復旧は行われず江田島へ曳航の後防空艦(実質浮き砲台)として重巡「利根」と共に本土防空の任務に就きました。
7月24~28日の呉空襲において多数の爆弾を受け右へ横転、着底した状態で終戦を迎えました。
1947年より船体の引き起こしと浮揚作業を行った後解体処分とされ「大淀」はその姿を消す事となります。

以上、軽巡洋艦「大淀(1944)」でした。
就役当初の「大淀」はまるで海上自衛隊の「はるな」型や「しらね」型DDHの先祖に見える外見を持ち、指揮統制を任務とするある意味非常に先進的な思想の元に建造された艦と言っていいかもしれません。
……指揮統制の対象が「潜水戦隊」である、という点が就役前から現実的ではなくなっていた事が大問題だった訳ですが。

次回は砲艦「宇治」の予定。
あとミニ更新で銀河英雄伝説の艦をちょろっとやるかも……。

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艦こ関係模型やフィギュア中心のブログです。

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