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高速輸送艦「大井」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は元軽巡洋艦で元重雷装巡洋艦で模型は高速輸送艦として運用されていた時期の「大井」です(ややこしい)。
球磨型軽巡洋艦の4番艦で、建造経緯や重雷装艦への改装は「北上」とほぼ同じなのでそちらを参照下さい。
「大井」は1921年10月3日に就役、後に1928年12月から1937年10月、さらに同年12月から1939年末まで長らく海軍兵学校付属の練習艦として運用されていました。
これはあくまでも練習艦”任務”にあたっていたもので、「練習艦」へ艦種変更が成されていた訳ではありません(よくネタにされますが)。
……理由は「機関部の調子が悪くて一線任務に不安がある」というちょっと悲しいもので、重雷装艦への改装も機関部の不調が理由の一つとも言われています。

「大井」はミッドウェー海戦の敗北後、10基40門の魚雷発射管のうち6基24門を撤去、空いた甲板スペースを輸送物資搭載に使用する高速輸送艦へ改装されました。
この姿を再現したものが今回の模型となります。

まずは全体。
高速輸送艦大井全体1高速輸送艦大井全体2
高速輸送艦大井全体3高速輸送艦大井全体4
高速輸送艦大井全体5高速輸送艦大井全体6
魚雷発射管の有無を除くと基本的な艦型は重雷装艦時代と変わりません。
とはいえ甲板上のスペースが大きく空いている事でかなりすっきりした印象になっていると思います。

艦首と艦橋。
高速輸送艦大井艦首
高速輸送艦大井艦橋1高速輸送艦大井艦橋2
艦首、艦橋周辺も殆ど変更点はなし。
この辺りは軽巡洋艦時代とも大きく変わっておらず、艦橋前の2基と艦橋横に片舷各1基配置された14cm単装砲も軽巡洋艦時代のままとなっています。

中央部。
高速輸送艦大井中央部1高速輸送艦大井中央部2
高速輸送艦大井中央部3高速輸送艦大井中央部4
6基の魚雷発射管が撤去され、前部1~4番発射管跡は更地に、9、10番発射管跡には兵員揚陸用の小発動艇が搭載されています。
……高速輸送艦にするのであれば5~8番発射管も撤去してしまえば良いと思うのですが、そこまで割り切る事が出来なかった事が日本海軍の限界を示しているような気もします。
とはいえソロモンを巡る一連の戦闘では夜戦が中心となっていた事もあり、一定の対艦攻撃力は残しておきたかったのかもしれません。
煙突は直立3本で大正期の計画だけにクラシカルな印象があります。

艦尾。
高速輸送艦大井艦尾1高速輸送艦大井艦尾2高速輸送艦大井艦尾3
艦尾部分はデッキハウスが新設され、その上部が搭載艇格納スペースとなっています。
後部マスト基部に小発動艇の揚げ降ろしに使用するデリックを装備、艦尾甲板には爆雷投下軌条が装備されています。

高速輸送艦に改装された「大井」は1942年10月から輸送任務に従事、ブーゲンビル島のブインやニューブリテン島ラバウル等への輸送にあたりました。
1943年に入るとニューギニア島を巡る戦いにおいて増援任務に従事、3月からは南西方面(インドネシア方面)の輸送及び護衛作戦へ投入され、さらに8月からはシンガポールを拠点にインド洋方面(アンダマン諸島、ニコバル諸島)への輸送に従事。
年が明けて1944年2月にはインド洋方面の通商破壊戦にあたる「利根」「筑摩」「青葉」を基幹とする艦隊を護衛するも殆ど実績はなく、5月はまた輸送任務に当たっています。
6月は赤痢病患者発生の為殆ど行動出来ず、復帰した7月にマニラからシンガポールへ移動中に米潜水艦「フラッシャー」の雷撃を受け「大井」は撃沈されました。

なお「大井」という名はローマ字表記で「Oi」となり、鵜来型海防艦「伊王(Io)」と並んで世界一短い艦名とされています。
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つまり

白を基調としたミニスカに手袋だった頃の大井っち……最高やな

No title

どちらかと言うと臨時講師みたいな扱いなんで正装じゃないって気が……?w>練習艦任務時
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艦こ関係模型やフィギュア中心のブログです。

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