給糧艦「間宮」

立て続けの更新は希望のありました「間宮」でございます。
なお、ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

海軍の大型給糧艦として大正時代に建造された艦で、外見は完全に当時の商船そのものです。
給糧艦間宮1給糧艦間宮2給糧艦間宮正横
基準排水量は約1万5千トン、神戸川崎造船所で建造され大正13年7月15日に竣工。翌年聯合艦隊へ編入されました。
食料の搭載量は1万8千名分を3週間養える程度と言われ、重量換算では約1000トン弱となります。
また、艦内にはこんにゃく、豆腐といった一般食品のみならず、最中、羊羹、饅頭、ラムネ、アイスクリーム等の甘味品の製造能力を持ち、最中1日6万個、羊羹2200本、大福餅1万個他多数の甘味品が作れたと言われています。
なお模型は1944年に米潜水艦「シーライオン」によって撃沈された時のものを再現したものとなっています。

間宮の艦首と艦尾。
給糧艦間宮艦首給糧艦間宮艦尾
艦首と艦尾に14cm単装砲を装備していますが、これらは平時は搭載されず戦時にのみ搭載されました。
艦首と艦尾にあるハッチは物資搭載用のもので、荷役作業に使用するデリックが多数設置されているのも特徴と言えるでしょう。

艦中央部。
給糧艦間宮中央部1給糧艦間宮中央部2
一際細長い煙突は燃料費を節約するため機関に石炭と重油の混焼缶を採用したためで、石炭の燃えカス(煤煙)が甲板に落ちてこないようにする為でした。
艦橋後部のハウス上のは96式25mm連装機銃、艦橋両脇には8cm単装高角砲が装備され物々しい姿となっています。
また、左側の写真でも判ると思いますが、艦橋の前後幅が極めて狭く、艦の両舷に渡って設置されていますが、これは当時の汽船に一般的な形状で、船橋(ブリッジ)の言葉はこの形状が元になっているとの説があります。
艦橋アップ。
給糧艦間宮艦橋
塗装と兵装を除けば当時の大型貨物船と殆ど変わらない姿です。
平時は各艦への食糧補給、戦時はトラック島へ進出した艦隊への食糧補給と地味な役所ながらその働きは目覚ましく、「間宮が来る」というだけで将兵の士気が上がったとも言われています。
この為当時の海軍は間宮の行動に際しては複数の駆逐艦を付けていたと言われるなどその扱いは丁重かつ厳重なものでした。
実際に間宮が撃沈されたとの情報を耳にした将兵の落ち込みぶりは大きかったと言われています。
艦これにおいても間宮を使用すると疲労が回復するのは正しく史実の反映だと言えるかもしれません。

次回は
・軽巡洋艦「夕張」
・給兵艦「樫野」
の何れかを予定しています。
なお月末までに
・重雷装艦「北上」
・軽巡洋艦「龍田」
の2隻がラインナップに加わる予定デス。
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アニメ艦これは史実に忠実だった疑惑

記事間違え失礼

>>食料の搭載量は1万8千名分を3週間養える程度と言われ、重量換算では約1000トン弱となります。
また、艦内にはこんにゃく、豆腐といった一般食品のみならず、最中、羊羹、饅頭、ラムネ、アイスクリーム等の甘味品の製造能力を持ち、最中1日6万個、羊羹2200本、大福餅1万個他多数の甘味品が作れたと言われています。


軍艦とはなんぞや(問題提起

間宮

間宮は「給糧艦」として食料の供給を専門とする特務艦でしたので位置付が戦闘艦艇とは全く異なります>問題提起
実際に竣工後は「ドック入り以外ほぼ全て任務に駆けずり回っていた」状態で、昭和に入って給糧艦「伊良湖」の建造が計画された際には「間宮がどれだけ酷使されているか」を大蔵官僚に切々と説明したとか……。
何にしてもいわゆる「軍艦」にも色々な艦と役割があるんです、という事ですね。
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