水上機母艦「神威」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は「艦これ」2017年春イベントにて実装された水上機母艦(給油艦/飛行艇母艦兼給油艦)「神威」です。
運営ツィッターでチラ見の段階で新規実装艦を「神威」と断定、キットを探し回ったところポーランドのレジンキットメーカーであるニコモデルから水上機母艦時代の「神威」が発売されている事を確認、急遽購入の上優先製作依頼を出す事にしました。
……ちょっと先走った気がしなくもないですが、チラ見で「神威」と判断したのは間違っていなかったので一安心。
そんな「神威」ですが、本来の地名としては「か”む”い」なのですが艦名としては「か”も”い」となっています。
これは他にも「伊良湖」が同じく本来の読みは「いら”ご”」なのですが艦名としては「いら”こ”」となっている例があります。

まずは全体から。
水上機母艦神威全体1水上機母艦神威全体2
水上機母艦神威全体3水上機母艦神威全体4
水上機母艦神威全体5
大本は大正時代の建艦計画、「八八艦隊計画」の補助艦として計画された艦隊給油艦で、ターボ電気推進技術の評価試験を目的としてアメリカのニューヨーク造船所に発注、大正11年9月12日に竣工しました。
竣工時は特務艦(運送艦)に類別されましたが昭和7年8月より水上機母艦への改装を受け、昭和9年6月1日に特務艦籍から軍艦籍へ移り、水上機母艦へ再類別されました。
キットはこの水上機母艦時代のもので、昭和12~13年初頭辺りの姿を再現したものとなっているのですが、何故かキットの方は「1942年」の文字が。
艦尾のハインマットは昭和13年(1938年)に撤去されている&昭和14年に再改装されて飛行艇母艦へ変更されているので実質昭和12~3年頃の姿となっている事をご了承下さい。

「神威」艦首部分。
水上機母艦神威艦首1水上機母艦神威艦首2水上機母艦神威艦首3
元が給油艦として計画されただけに、艦首の形状など当時のタンカーに限りなく近いものとなっています。
艦首左舷にのみ菊花紋章が付いていますが、実際には右舷側にも付いていたようです。
前部マストの下にある箱状の構造物は仮艦橋で、本来の艦橋からの見通しが悪化した為に設置されたものと思われます。

「神威」中央部。
水上機母艦神威艦中央1水上機母艦神威艦中央2水上機母艦神威艦中央3
水上機母艦神威艦中央4水上機母艦神威艦中央5
「神威」のキットで一番の見どころはやはりこの中央付近の航空艤装及び格納庫でしょうか。
本来の上甲板の上に鋼製甲板を増設の上軌条を設けて格納甲板とし、さらに鋼製の天蓋を設置して格納庫内の水上機を保護する形になっています。
射出機が装備されていないのは軍縮条約の条項に違反する為で、この事もあって「千歳」などのような艦隊型水上機母艦と異なり外地での基地機能をメインとした改装となっています。
搭載機は常用・補用合計12機で、90式水上偵察機や94式・95式水上偵察機を搭載していたようです。
鋼製天蓋は右舷側が切り欠かれた形状となっており、ここからデリックを介して搭載機を洋上に降ろして発進させる方式となっています。
また鋼製天蓋の各所に13ミリ単装機銃を装備しており、煙突両脇に装備された8cm高角砲と合わせて対空戦闘を主眼とした兵装が施されています。

「神威」艦尾。
水上機母艦神威艦尾1水上機母艦神威艦尾2水上機母艦神威艦尾3
水上機母艦神威艦尾ハインマット
艦尾に装備しているリール状のものはハイン式揚収装置(ハインマット)で、以前「瑞穂」の説明で書いたものと同じ(というか「神威」から撤去したハインマットを「瑞穂」が装備した)で、キットではこのハインマットもエッチングパーツで展開状態を再現しています。
艦尾近くにある円形の台座は中口径砲を装備可能な砲座で、後に14cm単装砲が装備されています。
煙突付近に林立しているキセル状のものは通風筒で、明治~大正期の艦艇によく見られるものです。

「神威」はこの後昭和14年に飛行艇母艦への改装を受け、戦争中は主として重油輸送に使用されました。
昭和19年に給油艦へ類別変更され、香港に停泊していた昭和20年4月5日に米空母機による空襲を受け大破、4月13日に浸水量の増加により着底、そのまま終戦を迎えました。
戦後は英軍により解体され、昭和22年5月13日に除籍。
水上機母艦「神威」でした。
ターボ電気推進の評価試験を目的としてアメリカに発注され、給油艦>水上機母艦>飛行艇母艦>給油艦と艦種変更を繰り返すという変わった経歴を持つ艦ですが、活動そのものは地味でした。
とはいえこんな艦が日の目を見るのも「艦これ」の大きな特徴だと思います。
……実装されなかったらキットを手に入れようとか全く考えなかったでしょうし。

次回更新は飛行艇母艦「秋津洲」を予定。

レキシントン級航空母艦「サラトガ」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は艦これ2016年秋イベント『発令!「艦隊作戦第三法」』最終海域突破報酬として実装されたアメリカ海軍レキシントン級航空母艦2番艦「サラトガ」です。
レキシントン級航空母艦はワシントン軍縮条約に伴う主力艦保有制限を受け、同条約で規定された「主力艦ないし巡洋戦艦を改装した航空母艦」として建造中のレキシントン級巡洋戦艦を改装した航空母艦です。
「サラトガ」はレキシントン級巡洋戦艦3番艦として建造中でしたが、工程28%のところで航空母艦への改装が決定、アメリカ海軍初の大型正規空母として1927年11月16日に竣工しました。
元が大型高速の巡洋戦艦だっただけに、基準排水量33000トン(公表値、実際には36000トン)、全長270.7m、最大幅32.3m、機関出力180000馬力、最大速力33ノット強、搭載機最大120機という性能を持つ航空母艦となっています。
今回の「サラトガ」は改装を重ねた1945年2月末頃、硫黄島攻略作戦に参加した際の姿を再現したものとなります。

まずは全体。
サラトガ全体1サラトガ全体2
サラトガ全体3サラトガ全体4
270mという「アイオワ」級戦艦に匹敵する全長を持ち、最大幅もほぼ同等かつこの時期には度重なる改装により満載排水量が5万トンを超えていました。
しかしながら全長270mに対し全幅33m弱でL/B比で8.2/1という細長い船体の為に鈍重さは感じられません。

サラトガ艦首。
サラトガ艦首サラトガ艦首飛行甲板
艦首は飛行甲板部分までを包む「エンクローズド・バウ(ハリケーン・バウ)」を採用しており、これは日本海軍が後に「大鳳」で採用した型式となります。
艦首飛行甲板は就役当初は船体に合わせて窄まった形状でしたが、1941年前半に拡張工事を行い、写真にあるような矩形となっています。

サラトガ艦尾。
サラトガ艦尾サラトガ艦尾対空兵装サラトガ艦尾飛行甲板
艦尾飛行甲板両側の4連装機銃(連装機銃2基を一つの架台に纏めた型式)はBofors40mm四連装機銃、大型の単装砲は5インチ(12.7センチ)高角砲、小型の単装機銃はエリコン20mm機銃です。
等間隔で10本以上の着艦制動装置が取り付けられているのが判ります。

サラトガの航空機用エレベーター。
サラトガ前部エレベーターサラトガ後部エレベーター
白枠で書かれた部分がエレベーター、に見えますがこれは単なる白線塗装で、その後ろにあるT字型の部分が前部エレベーターとなっています。
この前部エレベーター、T字の横棒部分のみが昇降し縦棒部分は下方向への観音開きという変わった型式となっています。
後部エレベーターは煙突後端部の横にありますが、最大荷重重量が3トン程しかなく、大きさも極めて小型の為大戦後半にはまともに運用出来る艦載機がありませんでした(主翼を折り畳み燃料弾薬を搭載しないF4F戦闘機が限界)。

サラトガ艦橋(左舷側)。
サラトガ艦橋1サラトガ艦橋2サラトガ艦橋3
この模型で一番の見どころはやはり艦橋構造と煙突でしょうか。
比較的小型の艦橋構造は煙突と分離して設置されており、アメリカ海軍の正規空母としては珍しい構造となっています。
艦橋前には就役当初55口径8インチ(20.3センチ)連装砲2基を装備していましたが、1942年1月に伊号第六潜水艦から受けた雷撃による損傷復旧工事の際に写真にある38口径5インチ(12.7センチ)連装両用砲への換装を実施、対空火力を強化しました。

サラトガ艦橋(右舷側)。
サラトガ右舷艦橋1サラトガ右舷艦橋2サラトガ右舷艦橋3
煙突後部の38口径5インチ連装両用砲も前部の2基と同じく55口径8インチ連装砲を換装したものです。
右舷側の特徴として、左舷側にはない船腹部分の張り出しがありますが、これは上にも書いた1942年の損傷復旧工事の際に右舷側にのみ取り付けられたブリスターと呼ばれるもので、右舷に偏重した重量増加分を相殺する浮力保持等の為に設けられました。
艦橋上部に設置された射撃指揮装置には射撃用レーダーが装備されており、メインマスト上部の対空レーダー、煙突前端に取り付けられた対水上レーダーと合わせてアメリカ海軍の電測兵装の充実ぶりが判ります。

サラトガ煙突。
サラトガ煙突1サラトガ煙突2
サラトガ煙突3サラトガ煙突4
「まるでガスタンクのようだ」とも言われた「サラトガ」の大型煙突ですが、これは巡洋戦艦として180000馬力を発生させる為に必要な大量のボイラー(16基)からの排煙を一纏めにした結果で、外見上の大きな特徴の一つとなっています。

「サラトガ」は「レキシントン」と共に「レディ・レックスとシスター・サラ」と呼ばれ、戦前のアメリカ海軍の航空母艦を代表する知名度の高い艦でした。
これは日本海軍の「赤城」や「加賀」と同様で、当時の主力艦である戦艦と並ぶ大型艦であり、その優美な姿と相まって「艦隊の顔」となっています。
またレキシントン級はアメリカ海軍内部で「空母の女王」とも呼ばれていましたが、これはその強大な航空機運用能力を褒めただけではなく、非常に高価な事(建造&改装費用は軍縮条約時の最新鋭戦艦コロラド級の倍以上)を揶揄したものとも言われています。
実際に戦艦では1941年の「ノースカロライナ」級、空母では1943年の「エセックス」級までこの建造費用の記録は破られていません。

「サラトガ」は1941年12月の開戦より程ない1942年1月に伊号第六潜水艦の雷撃により損傷、同年5月までを修理に費やしています。
損傷復旧後は急ぎハワイに回航されましたがミッドウェー海戦には間に合わず、ソロモン諸島ガダルカナルを巡る戦いに参加する事となりました。
1942年8月には第二次ソロモン海戦に参加、「サラトガ」を発進した攻撃隊は日本海軍の小型空母「龍驤」を攻撃、同艦を撃沈しています。
しかしこの海戦で僚艦「エンタープライズ」が撃破され、海戦直後の8月31日には「サラトガ」もまた伊号第二十六潜水艦の雷撃を受け電気系統を破損(英海軍の技術者曰く「複雑怪奇」な代物)、行動不能となって重巡洋艦「ミネアポリス」に曳航されトンガタブ島へ退避する事となりました。
なお余談ですがこの魚雷命中の際、艦内で「やった!これで(母国の)海軍工廠へ帰れるぞ!」と叫んだ不届き者がいたとかなんとか。
トンガタブでの応急修理の後、10ノットの速度が出せるようになって真珠湾へ後退、修理を行いました。
修理を終えた「サラトガ」は再び南太平洋へ出撃するも空母同士の海戦に参加する機会はなく、1944年6月のマリアナ沖海戦時には本土で整備に当たっており、同海戦にも参加する事はありませんでした。
同年9月より軽空母「インディペンデンス」と共に夜間戦闘機隊の訓練に従事、「インディペンデンス」が小型の為夜間発着が困難である事から硫黄島攻略戦には「サラトガ」が参加する事となります。
硫黄島攻略作戦に先立ち、「サラトガ」は1945年2月16日と17日の二日間に渡って日本本土への空襲を実施しました。
しかし2月21日、日本海軍第二御盾隊による特攻攻撃を受け大破、本土へ帰投し修理と共に練習空母への改装を受けることとなります。
1945年5月には修理を完了、真珠湾へ回航の後航空隊の訓練に従事した「サラトガ」でしたが8月15日の日本降伏に伴い9月6日に訓練を中止、アメリカ本土へ戻る兵員を輸送する任務に当たりました。

復員輸送が終わった後、そのまま練習空母として運用する計画もありましたが旧式である事と大型の艦隊型正規空母であるエセックス級が多数就役していた事もあり退役が決定。
1946年に原爆実験である「クロスロード作戦」で標的艦として使用される事となり、空中爆発のABLE実験では軽微な損傷で済んだものの海中爆発であるBAKER実験が致命傷となり爆発から7時間後に沈没、ビキニ環礁の海底へとその姿を消しました。

今月の更新はこれでお終いとなります。
来月は月末近くに飛行艇母艦「秋津州」と給油艦(水上機母艦)「神威」を入手予定。
それ以前の更新は入手したフィギュア等を行う予定です。

金剛型戦艦「金剛(1942)」フルディティールアップ版

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は戦艦「金剛」、1942年時の姿です。
1944年の対空兵装強化時の姿&建造経緯に関してはこちらをご覧ください。

まずは全体から。
金剛1942全体1金剛1942全体2
金剛1942全体3金剛1942全体4
1944年時と比べ対空兵装の増備が行われていない為、全体として見た場合兵装配置の密度がかなり薄い事が判ります。

艦首。
金剛1942艦首2金剛1942艦首1
1番主砲後部の真下に凹みがるのは旧副砲装備位置で、近代化改装の際に代償重量として撤去されました。

前部主砲。
金剛1942前部主砲1
14インチ主砲のシールドは「比叡」と同じく角型となっており、丸型の「榛名」「霧島」との識別点になっています。

艦橋。
金剛1942艦橋1金剛1942艦橋3
金剛1942艦橋2
建造当初の小型艦橋から鐘楼型の大型艦橋となっています。
前檣楼最上部の主砲射撃指揮所と測距儀が白く塗られているのは連合艦隊所属艦を示す塗装で、開戦後しばらくは残されていましたが防諜の為もあって程なく廃止となりました。
1944年時と比べ上部の見張所(防空指揮所)が狭い事が判ります。

中央部。
金剛1942中央部1金剛1942中央部2
高角砲は1944年時は片舷3基6門ですが、1942年時点では片舷2基4門となっています。
機銃も25mm連装機銃で、25mm三連装機銃へ換装の上大量増備した1944年時とは比べ物になりません。

飛行機作業甲板。
金剛1942飛行機作業甲板金剛1942後部
3、4番主砲の間が搭載飛行機関係のスペースとされ、九五式水上偵察機2機を搭載。
九五式水上偵察機は複葉の万能機で、九六式艦上戦闘機に匹敵すると言われた運動性能を持ち、戦闘・偵察・哨戒・弾着観測と幅広く使用された傑作機です。

艦尾。
金剛1942艦尾1金剛1942艦尾2
機銃が増備されていないので全体的にすっきりとした印象です。

「金剛」は開戦当初は南方作戦に従事、そののち真珠湾攻撃から帰投した機動部隊に合流、インド洋作戦に出撃。
このインド洋作戦は「金剛」型4隻が全て参加した唯一の作戦行動となりました。
インド洋作戦終了後、ミッドウェー海戦に第三戦隊第二小隊として「比叡」と共に攻略部隊の一員として出撃。
しかしミッドウェー海戦の敗北により敵影を見ることなく撤退しました。
ソロモン諸島を巡る戦いでは「比叡」「霧島」が分離して新規に第11戦隊を編成、「金剛」は「榛名」と共に第三戦隊を編成、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対する艦砲射撃を実施、米軍をして「飛行場を維持出来るか自信が持てない」と言わしめる大損害を与える事に成功します。
しかしこの後に第11戦隊を投入した砲撃作戦を巡って生起した第三次ソロモン海戦で「比叡」「霧島」を立て続けに喪失、妹艦のうち2隻を失う事になります。
1943年以降は機動部隊の直衛艦としてマリアナ沖海戦に参加、その後は機動部隊から離れ第一遊撃部隊第二部隊旗艦としてレイテ沖海戦に参加しました。
レイテ沖海戦ではサマール沖の追撃戦で米艦隊に対し命中弾を与え、護衛空母「ガンビア・ベイ」、駆逐艦「ホエール」、護衛駆逐艦「サミュエル・B・ロバーツ」の撃沈に貢献しました。
……しかしこの戦いにおいて「金剛」は重巡洋艦「鳥海」を誤射・行動不能に陥らせたと言われており、結果として「鳥海」を撃沈してしまった可能性があります(こちらを参照)。
レイテ沖海戦における一連の戦闘において「金剛」は至近弾を受けバルジ等が損傷、浸水被害が発生していました。
それでも生き残った「金剛」は他艦と共に本土への帰還を目指しましたが、台湾沖北方において米潜水艦「シーライオン」の雷撃を受け2発が命中、さらに護衛の駆逐艦「浦風」も雷撃を受け轟沈。
「金剛」は流石に戦艦だけあって2発の命中魚雷にも関わらず耐えていましたがレイテ沖での損傷もあって浸水が止まらず、魚雷命中より約2時間半後に転覆・沈没しました。

以上、「金剛(1942)」でした。
次回はマックスファクトリーの「愛宕」フィギュアを予定。
今月末は「サラトガ」が届く予定なので月末か来月頭にそちらを更新予定です。

装甲空母「大鳳」

ブログ主は過去に熱射病でぶっ倒れて後遺症が残った為に自力制作はガンプラパチ組みレベルが限界で、保有しているキットはオークションで落札、或いは制作代行依頼を出して作って頂いたものとなりますことを予めお断りさせて頂きます。

今回の更新は日本海軍が戦争中に完成させ、実戦に参加した唯一の正規空母「大鳳」です。
「大鳳」にとって最初で最後の海戦となった1944年6月のマリアナ沖海戦時の姿を再現したものとなっています。

航空母艦「大鳳」は日本海軍の建艦計画であるマルヨン計画唯一の空母として設計・計画されました。
その任務は「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」と続く高速正規空母と同じく敵機動部隊への攻撃を第一とするものです。
最大の特徴はそれまでほぼ無防御であった飛行甲板に急降下爆撃による500kg爆弾の命中に対応可能な装甲を施した事にあります。
飛行甲板の装甲化はそれまでの正規空母の飛行甲板が全て無防御であり、30kg爆弾の直撃ですら戦闘能力を喪失しかねないという防御上の一大欠点を根本から是正する事がその目的でした。
一時はこの重防御から「大鳳は味方機動部隊より前に出て中継基地として使用する」という運用法が取られると解説されていた事もありますが、日本海軍は「大鳳」計画時に「飛び石的用法を主目的とするに非ず、従って将来の空母は皆このような重防御とする」と明確に中継基地としての運用法を否定しています。
加えて飛行甲板に重防御を施した空母が将来の主力であり、「大鳳」以降の空母は全て装甲化された飛行甲板を持つと明確に述べています。
実際には戦局の悪化等により「大鳳」の同型艦及び「大鳳改」型の建造は実施されずに終わってしまうのですが。


日本海軍が計画した新世代の航空母艦、そのスタンダードとなるはずであった「大鳳」、まずは全体から。
航空母艦大鳳全体1航空母艦大鳳全体2
航空母艦大鳳全体3航空母艦大鳳全体4
飛行甲板は装甲化されていますが、一番上は木甲板となっています。
以前は装甲鈑にラテックス(ゴム系塗料)を塗ったものとされていたのですが、近年の研究により中央船体断面図に「木甲板」の指定があること、飛行甲板で撮影された写真の発見等によって「大鳳」の飛行甲板最上部は木甲板である事が判明しました。
今回の完成品はこの新考証による姿の再現となっています。
飛行甲板の装甲範囲は前後部のエレベーター間に施されており、中央付近に近づくに従い幅が広くなり、最大幅は25mとなっています。
ちょうどレモンの両端を切り落とした形状を考えて頂ければその装甲範囲がなんとなく判ると思います。
厚さは25mm+70mmの95mmで高度700mから投下される500kg爆弾に耐えられるもの、とされていました。
この飛行甲板の装甲化は搭載機の減少というデメリットもありましたが、計画搭載定数57機に加え分解格納7機、さらに飛行甲板への露天繋止12機と合わせ戦時搭載は76機を予定しており、マリアナ沖海戦ではほぼこの搭載数を満たしています。


「大鳳」艦首。
航空母艦大鳳艦首1航空母艦大鳳艦首2航空母艦大鳳艦首3航空母艦大鳳前部飛行甲板
飛行甲板を装甲化した「大鳳」はトップヘビーを避けるために「翔鶴」型よりも甲板数を減少させており、それに伴う凌波性確保の為に日本空母として初のハリケーン・バウ(艦首部分を完全に覆う形状)となっています。
以前紹介した「瑞鶴」や「赤城」と比べるとその形状の違いが明確に判ると思います。


「大鳳」艦橋及び中央部。
航空母艦大鳳艦橋1航空母艦大鳳艦橋2航空母艦大鳳艦橋3
航空母艦大鳳艦橋4航空母艦大鳳艦橋5航空母艦大鳳艦橋6
航空母艦大鳳艦橋7航空母艦大鳳左舷高角砲1
「大鳳」の艦橋はそれまでの日本空母にない艦橋と煙突が一体化した大型艦橋が採用されています。
この艦橋構造は煙突からの排煙による気流の乱れ等が不安視され、商船改装空母「隼鷹」において実験的に先行採用の上問題が無い事が確かめられました。
外側に26度傾斜した煙突は同形式の艦橋を持つ他国空母には見られない特徴となっています。
戦局が悪化した昭和19年に完成した「大鳳」は21号電探が最初から2基装備されており、対空監視能力が強化されています。
飛行甲板側の艦橋側壁に見える、横長の黒いものは搭乗員への説明等に使う黒板です。


「大鳳」艦尾及び兵装等。
航空母艦大鳳艦尾1航空母艦大鳳艦尾2航空母艦大鳳艦尾3航空母艦大鳳艦尾4
航空母艦大鳳右舷高角砲1航空母艦大鳳右舷着艦指導灯
艦尾付近の構造は今までに紹介した日本海軍の航空母艦とあまり変わりはありません。
最後部には25mm三連装機銃2基を装備する機銃座を備えています。
また右舷高角砲の間には緑灯4個と赤灯2個からなる着艦指導灯を装備。
同装置は左舷側にも設置されています。
「大鳳」が装備した高角砲はそれまでの標準高角砲である八九式12.7cm連装高角砲から九八式10cm連装高角砲へ変更されており、「翔鶴」型に比べ搭載数は片舷1基減の6基12門となっています。
機銃は25mm三連装機銃で他の空母と変わりません。
また大きな特徴として着艦制動装置が新型の三式着艦制動装置(油圧式、制動重量6トン)を装備しており、新世代の艦攻である「流星」や艦偵「彩雲」の運用能力を持っていました。
「大鳳」以前の航空母艦は最大制動重量4トンの呉式着艦制動装置(電気式)を装備しており、この点からも本艦が日本海軍空母の新たなスタンダードとしての能力を持っていた事が判ります。

「大鳳」は昭和16年7月10日に神戸川崎重工にて起工、昭和18年4月7日に進水しました。
戦局の悪化に伴い工事が急がれ、昭和19年3月7日に竣工、あ号作戦(マリアナ沖海戦)に旗艦として臨む事となります。
しかし同海戦においてアメリカ艦隊を先に発見、第一次攻撃隊を出撃させた直後に「大鳳」は米潜水艦「アルバコア」の魚雷攻撃を受けてしまいます。
この時第一次攻撃隊として発艦していた1機の「彗星」艦爆(小松幸男飛曹長操縦)が突如海面へ向けて急降下、「アルバコア」が発射した魚雷へ体当たりを敢行し身を呈して魚雷の脅威が迫りつつある事を「大鳳」に伝えました。
しかし急速転舵するも全てをかわしきる事は出来ず0810に右舷前部に魚雷1本が命中、この衝撃により前部エレベーターが中途半端な位置で停止してしまいます。
しかし応急資材や机、椅子までもを用いて穴を塞ぎ、残された一部の艦載機を発進させる事に成功しています。
魚雷命中の後も「大鳳」は航行に支障はなく、流石の新鋭空母と皆を感心させたと言われています。
しかしこの時、「大鳳」の艦内奥深くでは航空揮発油のタンクにヒビが入り、漏れた揮発油が気化して滞留するというおよそ空母にとって最悪の状態となりつつありました。
そして敵艦隊を発見できずに戻ってきた攻撃隊を収容し始めた1432(魚雷命中より約4時間後)、「大鳳」はその艦内で突然大爆発を起こしたのです。
この爆発の引き金を引いた原因そのものは未だに不明ですが、いずれにしても艦内に滞留していた気化ガスへの引火誘爆である事は確実であり日本海軍期待の新鋭空母「大鳳」は一瞬にしてその死命を決されてしまいました。
艦内奥深くで誘爆が続き、救助の艦も迂闊な接近が出来ない状態が続き、駆逐艦「若月」等が脱出した乗員を救助。さらに駆逐艦「磯風」が停止した「大鳳」の艦尾へ接近して乗員収容に当たりました。
そして誘爆発生から約2時間後の1628、「大鳳」はマリアナ沖にその姿を消しました。


次回は未定、フルディティールアップ版の「金剛(1941)」を入手したのでそれをやるかも?

タカラ世界の艦船シリーズ駆逐艦「浜風(天一号作戦時)」

今回の更新は10年以上前に公開された映画「男たちのYAMATO」と同時期に発売された「タカラ世界の艦船 Special・男たちの大和」から駆逐艦「浜風」です。
未組み立て品を入手したので組み立て順で写真を撮影してみました。
模型紹介の際にブログ冒頭に毎回入れている通り、ブログ主は過去に熱射病により倒れ、その後遺症によりほぼパチ組みしか出来ない為に今回の製作も一部接着を行っただけで完全に素組みとなります。

まずはパッケージ(中箱)。
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風パッケージ
ブリスターの中に船体及び台座、ランナーパーツが4つ入っています。

個別パーツその1、船体。
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風パーツ0タカラ世界の艦船駆逐艦浜風パーツ1
写真が撮りやすいように台座に固定した状態の船体パーツ。
艦橋や煙突など主要な上部構造物はほぼ接着済みとなっています。

個別パーツその2、ランナーパーツ。
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風パーツ2
ランナーパーツは4枚。

タカラ世界の艦船パーツ3

主砲3個と魚雷発射管2個が付いた主兵装ランナー。
タカラ世界の艦船パーツ4

旗竿、艦橋上部の射撃指揮装置、ダビットと内火艇、舵、烹炊所からの煙突が付いたランナー。
タカラ世界の艦船パーツ4

前後部のマストが付いたランナー。
タカラ世界の艦船パーツ5

最後に機銃が大量に付いたランナー。
タカラ世界の艦船パーツ6

これらを順番に船体へ取りつけていきます。
まずは主兵装を取り付け。
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風組み立て1
2番主砲を撤去し九六式25mm三連装機銃を2基増備した状態なので主砲が1個余ります。

続いて旗竿その他を取り付け。
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風組み立て2
マストがない為ちょっと間が抜けた状態。

マストの取り付け。
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風組み立て3
マストの有無で印象が結構変わると思います。
そしてこのキット最大の問題点、前部マストの取り付けが極めて難しいこと。
本来ならばマストを組み上げた後に1番煙突脇の予備魚雷格納庫兼次発装填装置を取り付けるのですが、このパーツが最初から接着済みなのでハの字型のマストを無理矢理押し込む必要があります。
とはいえ1mmあるかなしかのパーツなので無理に押し込むと当然折れてしまう為、あまり無茶な事は出来ません。
このため前部マストは若干歪みが出てしまっています。
この後に機銃パーツを取りつけ完成です。

完成。
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風完成
全体。
普段紹介している完成模型と違い、機銃パーツはキットそのままの為かなり大振りです。
加えて「塗装済み半完成品」という商品仕様上、機銃取り付け用のダボが凸凹共に塗膜による厚みがプラスされてしまいます。
このため機銃の取り付けが極めて面倒で、ヤスリで機銃基部を少し削ってやらないと穴に嵌らない事もしばしば。
12基ある25mm単装機銃のうち半数は修正が必要でした。

タカラ世界の艦船駆逐艦浜風1
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風2
タカラ世界の艦船駆逐艦浜風3
艦橋前の機銃も25mm三連装機銃になっていますが、ここは現在まで確認されている駆逐艦は全て25mm連装機銃装備となっています。
……1個だけ25mm連装機銃にすると面倒だったのでしょうか?

10年以上前の商品ですが、ベースキットはピットロードの1/700陽炎型のようで、全体のディティールそのものは比較的しっかりしています。
しかし上でも書きましたが半完成品という仕様の関係上、どうしても本来の組み立て順が不可能な為にマスト基部の組み立て等無理が出ている個所があります。
それでも当時1個500円でこれだけ手軽に作れる艦船模型が入手出来た(アソートの関係上、機銃や高角砲の割合が高かったのですが)事は特筆すべきでしょう。

駆逐艦「浜風」略歴。
昭和16年6月30日浦賀船渠にて竣工、第十七駆逐隊へ編入(浦風、磯風、浜風、谷風)。
南雲機動部隊の直衛として真珠湾攻撃作戦に参加、爾後南方方面作戦へ従事。
昭和17年5月、ミッドウェー作戦へ出動の後ソロモン方面へ転戦、ガダルカナル島奪還作戦の一木支隊輸送任務に従事。
同年南太平洋海戦に参加、昭和18年に入ってからはガダルカナル島撤収作戦、クラ湾夜戦、第一次ベラ・ラベラ海戦を歴戦。
昭和19年マリアナ沖海戦及びレイテ沖海戦に参加。
昭和20年4月7日、天一号作戦参加艦として大和と共に出撃、米航空攻撃によって撃沈、同年6月10日除籍。
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